"都忘れ" 政治経済学部2年 早川和紀
葉桜の季節が終わった。揺れる川面を眺めていると、薫風が頬を撫でた——気がした。考えてみれば最近、雲の行く末を見ることもなくなってしまった。風の薫りを感じることもなくなってしまった。日々の忙しさの中で、何も見えなくなることがある。何かを置き忘れてきたような気分になることがある。それが何だったかなんて、今となっては分からない。何も残ってはいないけど、それが綺麗だったってことだけは分かる。そしてそれを探しに戻らない方がいいことも、いつの間にか知ってしまったような気がする。
考えても答えは出まい、そう思うことが増えた。かつて藤村操が死に際して書いた「巌頭之感」の中の、「眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、『不可解』。我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。」という一節が重くのしかかってくる。人生不可解なり。これが人生なのか。不可解ならば、考えることをやめてしまったらいい。生きていればいいんだ、生きてさえいれば…。
それでいいんだろうか。
そんなとき人には、何かを求める事しかできない。求めることでしか、明日を描くことはできない。
そうさ、人の道、それを求めるのさ。でもそんなものあるはずもない。何かを追い求めることは、何かを傷つけることだ。生きるための言葉はそれにすがるものを絞殺してゆく。永遠へといざなう言葉が聞こえる。
雄大な自然に抱かれて静かに眠りたかった。北に行けば何かがあるかもしれない。最後に人の情を求めて津軽へ行こうと思った。津軽行きの列車に乗ろう。汽笛の音を求めてホームへと向かった。でも、そんな列車は一本もない。分かってはいたけれど…。どこにも行き場はなかった。あの地にも寂漠の波が打ち寄せていることを僕は知っている。そして、何も変わりはしないということも。
もしかしたら単に自由というものに疲れただけなのかもしれない。
―連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する―
かつて谷川雁が記した言葉だ。そんな強さを、もたれあいの中で見出すには時代が変わりすぎていた。
電車は次々とやってきた。目の前はいつの間にか黒く染まり、押し流されるように階段を下りていた。
通りの家の庭先では、都忘れの花が咲いていた。身を乗り出すと、薄暗い側溝に自分が映っているのが見えた。その上に、花びらが舞い落ちた。
もう別れを告げよう。汚いことばかりさ。どんなに綺麗なことを追いかけても、何も見つかりはしまい。夢を、希望を信じることを辞めるさ。口を閉ざして生きる、名もなき人に、名もなき世界に。僕という名の嘘から、good-bye。
見上げれば雲が一筋。哀しいほど青い空だった。