「地球がもしも、今とは逆に回転していたら」法学部一年 吉原優


「『LOVE』と『LIKE』はどう違うのか」
 落ち着いた男性ナレーターの声が、不意に私の注意を誘った。ふと振り返ってテレビの画面を見てみれば、白地の画面に、黒く細かい文字がびっしりと整列しているところだった。朝日新聞社の、テレビCMである。
ふと、記憶に引っ掛かるものがあった。調べてみれば、この実に興味深い一文は、2010年11月10日付の天声人語の、冒頭の一文であったらしい。好奇心の赴くままに記事の2文目を読んで、あぁと私は頷いた。その記事にはやはり、覚えがあった。
曰く、「LOVEは異質なものを求め、LIKEは同質なものを求める心の作用」だそうだ。
恥ずかしい。再びと巡り合ったこの記事を読んだ瞬間に感じたのは、それだった。
この記事を紙面で読んだのは3年前の話であるから、まだ高校1年生だった私の頭が、今より少しばかり不調法だったのは、致し方ないこと、のはずである。けれども、この2文目の意味を深く考えもせずに、なるほどと納得してしまっていた当時の自分を思い起こせば、なんて浅慮なのだろうと、恥じずにはいられない。


同質とはなんであろうか。異質とはなにか。
私たちは、少なくとも私は、その答えを知っているようで知らない。
例えば、中学時代の英語の教科書に、「I LIKE dogs.」という例文があった。犬全般を好むと表現する場合には、一般的に「LOVE」は使わないという主旨の説明書きもご丁寧に添えてある。
そうであるならば、では、犬は私たちと同質のものなのであろうか。それは生物という大きな概念の話なのだろうか。
例えば、アイデンティティが女性であるセクシャルマイノリティの方が、「I LOVE her.」と言ったとする。そしてその言葉が、「LOVE」の用法として一般的に認識されているように、友情ではなく恋愛感情から来るものであるとする。
そうであるならば、彼女は同質の性別的アイデンティティを持つ相手に対し、異質であるという認識を持っているのだろうか。同性を異性として認識している、一概にそう言っていいのだろうか。
極端な例を提示してしまった感は否めない。しかし、多少なり3年前と比べれば頭の動きが円滑になった私が疑問に思うのは、その、同質と異質の差異の、曖昧さなのである。
同質であるか異質であるのかは、誰が決めるのだろう。求める主体か、受け入れる主体か。人間か、犬か。「I」か、「her」か。
例えば、そもそも人類愛とは、一体なにを愛することなのだろう。


 私は、昨今の世界的な人権保護活動は、この点に関して最もナイーブにならなければならないと考えている。


人道的、という言葉が多く聞かれるようになった。人道的介入、人道的措置、人道的支援。報道の中でそんな言葉が躍るたび、私たちは、2次元に変換された惨状を目の当たりにしている。
20世紀も半ばに入り、ようやく世界で普遍的に認められるようになった人権という観念は、元は各個人が所属する国家に、その保護責任が規定されていた。国民は、国家の三要素の一角を占める重要な国家的要素である。それを保護し、真っ当な人権を確保することを国家の義務とすることは、当然ではないか。そんな考え方が主流だったのである。
しかし、1980年代後半から1990年代にかけ、その考え方は少しずつ変遷を遂げていく。人権の保護というものが、国家レベルにではなく、国際社会全体に求めるべき問題として、論じられるようになったのである。その頃、国家によって保護されない人々の存在が徐々に深刻な問題になりつつあった。その人々の人権をいかに守ることが出来るかを、世界は考えなければならない時代となったのである。
そうして、人道的、という言葉は、生まれた。
人権を守るため、という真っ当なお題目。「救う」ことが目的である行為は、度を越えなければ正当化も容易だ。人権が守られていない人々を「救う」ことは、国際社会の責務だとも確認された。「弱者」は「救わ」なければならないと、それが国際社会の共通の認識となった。
 そしてそこに、新たな疑問が生まれるのだ。
 
 その「弱者」とされる人々を、自らと異質であるとして「救う」のか、それとも、同質であるとして「救う」のか。
 人道的、というある種の博「愛」的な、人類「愛」的な言葉を私たちが振りかざす時、そこにあるのは、本当に「LOVE」なのだろうか。


 もう題名も思い出すことは出来ないが、ある小説の一幕に、こんなシーンがあった。
 超能力か何か、とにかく超常的な能力を持っているヒーローが、なんらかの理由で動物園を訪ね、そこでライオンが飼育員から暴力をふるわれている現場に遭遇する。普段は飄々とした態度を崩さない彼は、けれどなぜかその時に限っては少し感情的になり、そして、自らの力を使ってライオンを救う。そんな彼に、彼と同じような能力を持つヒロインが問い掛ける。「あなた、やさしいのね」と。
 
私は、それに対してヒーローが投げ掛けた答えこそが、人道を語る上での正解ではないかと思った。

 彼は、身勝手な飼育員が去った檻の中の、孤高のライオンを眺めながら、こう言うのだ。
「地球がもしも、今とは逆に回転していたら、この檻の中にいるのは、我々だっただろうからね」