「酒場の効用――新宿ゴールデン街に遊んでみて――」法学部二年 高野馨太

 私はよく新宿ゴールデン街(以下、ゴールデン街)に繰り出しています。ここは「おとな」な街なのでしょう。私は某「おとな」な方に連れて行ってもらってからは、「ふらり」と一人で、あるいは友人と連れ立って、私たちは若僧なものですから、隅っこの方でちびりちびりとお酒を飲ませて頂いています。私はゴールデン街でお酒を飲んでいる内に、さまざまな方々と知遇を得て、お話を伺うことが出来ました。これが、ゴールデン街のなによりの素晴らしい点だと思っています。私はたびたびお酒に酔いながら、新宿のゴールデン街に近傍する早稲田大学の学生であることを幾度となく感謝したものです。
ゴールデン街は小さな場ー(バー)ばかりが集まっているので、来客、バーテンダーの方々と話が出来る、――あるいはそうせざるを得ない環境なのです。わずか6、7本の通りに囲われた小さな場所に、100件あまりの飲み屋が連なっています。現在は、ミシュランのガイドブックにも記載されるほどの新宿の観光名所にもなっているため、遠来の外国人も含めた大勢の客で毎晩賑わっています。
ゴールデン街は、かつて青線と呼ばれた非合法売春街でした。戦後の闇市移転の替地としてあてがわれたのが、歌舞伎町の繁華街を少しばかり東に進んだゴールデン街の現在地(歌舞伎町一町目)ですが、その後、闇市の不振に伴って、代わりに飲み屋が続々と進出してきたのです。その飲み屋といっても、ただの飲み屋というわけではありません。「ちょんの間」と俗に称される形態の風俗業が営業されていたようです。東京屈指の色町と化したゴールデン街ですが、時代状況はそれを許しませんでした。売春防止法が昭和33年に制定され、東京オリンピックが昭和39年に開催されるに至ります。これらの社会状況の変化に伴って、ゴールデン街は徐々に「浄化」されて、現在のような文化人や大衆が多く集う飲み屋街へと変貌を遂げていったのです。ゴールデン街は今も尚、売春街だった当時の面影を残して、何か危うく、何か淫靡な雰囲気に包まれています。行きつけのお店のママさんに聞いたところ、店と店の間の狭い小路は、かつて青線が盛んだった時代に、お店の客が官憲から逃れるために用いた逃げ道の名残だそうです。
ゴールデン街に頻繁に行き始めたのは数か月前の頃、まだ10件あまりのお店にしか足を運んだことはありません。そんな私がゴールデン街について語るのは気恥ずかしい思いも致しますが、学生にとってのゴールデン街の可能性(全文を読まれた方は、本コラムの趣旨が学生とゴールデン街に局限されないということをお分かり頂けるでしょう)について、以下に述べさせて頂きたいと思います。

ダジャレを言うわけではありませんが、やはり、私にとってはこの街はゴールデンなのですね。この街は、私には光り輝いているように思えるのです。――なにがゴールデンかと言って、やはり私に懐古趣味があって、昔ながらの面影を残していて、その気持ちが満たされるからというのもあるでしょう。辻毎に何か妖しげな感じがして、それが私の期待感を膨らませる――、そういったロマンに満ちているからというのもあるでしょう。ですが、私はゴールデン街の美点は何よりも「人との触れ合い」が出来ることだと思っています。
我々学生が、少しばかり背伸びをして「おとな」な世界に足を踏み入れることが出来る、そして、我々を迎え入れてくれる土壌がある――もちろん、それは不躾に振る舞った人間、店のコンセプトにまるで合わない人間であれば話は別です。ですが、おおよそのお店では、初見の客も迎え容れてくれる文化が残っているのではないでしょうか。もちろん、「一見さんお断り」のように、入店には紹介が必要なお店も確かにあります。ただ、それは少数派でしょう。
さて、話は変わりますが、学生はいつも何をしているのでしょう。――といって、他の方々の学生生活を云々することは差し控えておきます。読書するもいい、何するもいい――、ただ、社会に繰り出して自らの知見を広げることも学生生活の要諦であると私は思っています。私はいろいろな人の話が聞きたい、いろいろな人生を目撃したい。それが、どういう方向であれ、今後の人生――如何に生き、死ぬか――に繋がると思うからです。私は、それを学生の内に出来るだけしておくべき「修養」であると考えています。もちろん、学生の資力と余暇で出来ることは局限されているでしょう、後々の人生に比すれば、さしたるものではないでしょう。それでも――、出来る限りやっておいた方がいいと思うのです。
そのためにはどうするのか。私は旅と酒場だと思っております。私の旅の定義は「ここではない、ここと同じだけの生活を生きること」だと思っています。旅には時間の長短は無い。ただ、「今と違うことを、今と違うところ」でするならば、それは旅ではないかと。つまり、移住も放浪も同じ旅なのです。そこには無限の可能性、あるいはもっと現実的に言うなれば、あらゆる邂逅の可能性とその期待感が旅には満ち溢れているのですね。
――とすると、酒場にふらりと飲みに行くことも、また旅ではないかと私は思うのです。あなたはいつもの家に、また今日も帰る必要がある。ただ、酒場にいる時だけは自由です。そこには、いつもとは全く違う新しい生き方があるのでしょう。酒場にはいろんな人がやってくるのですね。そこで、我々はいろんな人生と巡り合うのですね。――酒は虚飾を削ぎ落す効用があるのかも知れません。そのような酒場で、我々はつい先ほど出会った人間とも打ち解けて語り合い、酔い明かすのです。
学生は、概ねまだまだ社会知らずだと言えるでしょう。私もまた然り、という謙譲句を付け加えることをもちろん忘れません。ただ、何もしない大学生よりは、いろいろ旅に行って、酒場に繰り出して、幾分かだけ社会を見ている、あるいは見ようと努めていると思います。ここで持ち帰った経験をここで披瀝することは致しませんが、それでも私は、大いにそれらの経験は意義深いものであったとはっきりと言い切ります。私は旅での思い出、酒場での思い出が私に活きていると思います。それが、各人に確定的に意義深いものであるかは分からない。ただ――、そうかも知れないのです。だから、私は同じく青臭い学生諸兄に言いたいのです。寺山修二ではありませんが、「書を捨てよ、街に出よ」。
かつてのゴールデン街は学生に溢れていたようです。OBの方々から聞いたところによると、かつては各自でお気に入りの店に行って、飲み明かしていたようです。あの頃の学生には元気があった。――そう言ってしまえば、その通りかも分かりません。現在の学生は引き籠り体質が多い、などとも言われます。やはり、私は社会を偉大だと思います。自らを卑小に捉えて、雄々と外に出てみたらいいと思います。そこで、何がしかの果実を手に入れることが出来る「かも知れない」のです。可能性は無限大です。無論、それは学生に限ったものではないのでしょう。
そういった可能性を発揮する場として、手っ取り早いのが、東京の方でしたらゴールデン街だと思います。理由は以上、お読み頂いた通りです。ですから、私はゴールデン街に軽々と飲みに行かれることをお勧めします。ゴールデン街にはともすれば、先に述べたように、他者と交わらざるを得ないようなお店もたくさんあります。私もひとりでいろいろと開拓を試みました。特に、現状に閉塞感を感じ、仲間がほしいと考える方は足を運んでみてはいかがでしょうか。さまざまなコンセプトのお店が多く立ち並んでいます。各人の趣向に即した良いお店と人間関係が見つかると思います。