『旅情の行方』 社会科学部2年 清水健太

先月16日、二つの夜行列車がラストランを迎えた。寝台特急日本海」(大阪―青森)と急行「きたぐに」(大阪―新潟)である。両列車はこの日を限りに定期運行から退き、以後ゴールデンウィークなどの多客期のみの臨時列車となった。理由は無論乗車率の低迷だった。
このうち「日本海」は、現在まで残っていた数少ないブルートレインの一つだった。
近年、ブルートレインは減少の一途を辿っている。ブルートレインとは、文字通り青色の客車で運行される寝台列車のことである(電車で運転されていた「きたぐに」は、従って夜行列車ではあるがブルートレインではない)。わずか10年程前には一日10本以上のブルートレインが走っていたが、今では「北斗星」(上野―札幌)と「あけぼの」(上野―青森)の2本を残すのみとなった。
ブルートレインは、確かに飛行機や新幹線に比べれば遅い。高速バスに比べれば料金は高い。老朽化が進んだ客車には、時に居心地の悪さを覚えるかもしれない。だがブルートレインには、飛行機や新幹線や高速バスにはない魅力がある。それはブルートレインが感じさせる「旅情」である。
ブルートレインを流れる時間は、とてもゆったりしている。夕刻、忙しない通勤客を余所に、ブルートレインは遥かなる目的地へと走り出す。車窓からは徐々に人影が消え、すれ違う列車も疎らになる。夜も更けた頃、車内放送終了のお知らせが流れると、一段と静けさが増す。鉄路と車輪が織りなすリズムと微かに響く踏切の警報音は、さながら「岩にしみ入る蝉の声」である。翌朝目覚めると、見知らぬ街の夜明けが出迎えてくれる。そして列車から降り立つ瞬間、一抹の名残惜しさがこみ上げてくるのである。
旅において移動とは、それ自体重要な楽しみだ。いやむしろ、移動こそが旅の最大の魅力といっても過言ではあるまい。楽しいのは、しばしば祭り本番よりもその準備だったりする。その移動が単なる過程あるいは手段と化しては、旅は余りにも味気ない。
だが現実には、旅の移動は増々旅情と疎遠になっている。もちろんそれは、市場が旅情を求めていないからだ。
市場は、需要無きものの存在を許容しない。ブルートレインとて例外ではない。ブルートレインは市場に、すなわち人びとに求められないから消えているのである。いくらそこに魅力があると主張したところで、その存続を願う気持ちは所詮過去へのノスタルジアに過ぎないのだ。
旅情の行方を知るのは、現代社会ではただ市場のみである。
それでも私は、やはりブルートレインがいつまでも走り続けてくれることを望まずにはいられない。情報化や交通網の発達で、日常生活は速度を増す一方である。速さは大きなストレスとして重くのしかかり、人びとを心身共に疲弊させてしまう。ブルートレインは、そんな現代人にささやかな安らぎを与えてくれる。「心のオアシス」という常套句があるが、そんなオアシスが、加速する現代社会だからこそ必要ではないだろうか。
このコラムを読んでくださった方々も、是非一度ブルートレインの旅を味わってみてはいかがだろうか。冒頭で紹介した2本のブルートレイン以外にも、その血を引く「トワイライトエクスプレス」(大阪―札幌)と「カシオペア」(上野―札幌)という列車もある。いずれの列車でもいい。飛行機や新幹線や高速バスにはない魅力と安らぎを、きっと感じていただけるはずだ。