"Seek A Light" 政治経済学部一年 宇佐美皓子

大学に入学し、気づけばもう2月である。なんとも言えない時の早さに、焦りを抱く。
去年まで高校生だった私が、この一年の大学生活を経ていったい何を得たのだろうか。

初めて出場した弁論大会では、国際問題を聴衆に共感させることの難しさを知り、
雄弁会の活動を通して、自身の能力に悔しさを抱くことは数知れず、
将来について家族と衝突することも多くなり、
様々な人と接する中で、自分の人間としての小ささにも気づくことが多くなった。

そんな中で自分の考え方が大きく変わるターニングポイントがあった。
2度目の弁論大会である。
多くの時間と能力を費やして、我が子のようにずっと温めてきた弁論が、
「遠いからよくわからない」、この一言で音を立てて崩れ落ちた。
この辛さをもう一度味わうのかと思うと、2度目の弁論大会に出場する決心なんて、できっこなかった。
そんな状態の私を準優勝まで導いてくれたのは、大切な人の言葉だった。

 「全力を出して得た結果なら、必ず自分につながる」。

一見あたりまえのようなこの言葉は、それでも深く、私の心に響いた。
 賞を目指すのではなく、わかりにくいけれども確実にそこにあるであろう、賞のその先にある何かを得よう、そのために全力でとにかく走ってみよう。こう思えたのである。


改めて、私がこの一年の大学生活を経て得たもの、
それは、暗闇の中で、見えない光に向かって進み続ける自信である。
たとえ今、光を見つけられなくても、前に進み続けることで、いつか必ず光を見つけられる。

そして、その自信の背後には、紛れもなく大切な人たちの存在がある。
ともに暗闇の中で光に向かって進む人。
光は必ずあると教えてくれる人。
進み続けられるように励ましてくれる人。

自分を支えてくれるこんな人たちの存在に感謝し、限りある時間の中で、全力で光へと進み続けていきたい。


あっと言う間に1年が経ってしまった。
きっと同じことを言う一年後はもうすぐそこだろう。


Seek A Light.

「まだ見ぬ後輩たちへ」 社会科学部一年 宇治舞夏

 二月中旬、大学の近くを通ると「早稲田入学試験場」の看板が掲げられていた。一年前にもその前の年にもこの看板を見ながら早稲田に憧れる受験生だったことを思い出した。あの頃は自分がこの雄弁会に入るなんて思ってもいなかったし、さらに言うと雄弁会の存在すら知らなかった。そんな私だったが、この雄弁会で一年間私なりに精一杯活動を行ってきた。
私がなぜ雄弁会を知り入会することにしたかについては長くなるのでここでは省略する。しかしひとつ大きかったのは「新歓コンパで先輩方と話していて面白かったから」である。一見どのサークルにも当てはまりそうな理由に聞こえるかもしれないが、雄弁会における話の面白さは他とは違った。雄弁会以外にもいくつかサークルの新歓に行ったが、たいてい出身地や学部、話がはずめば軽い趣味の話もしたりする、その程度だった。うわべだけの会話だし、寝て起きれば何を話したかなんて忘れてしまう。しかし、雄弁会では現代において何を問題に思っているのか、どう変えていきたいかということについて聞かれる。それに答えていくうちに、自分について普通の友達にもあまり話したことがなかったような深い話までしていた。このような深い内容について話せる人は周囲にほとんどいなかった。それなのにもかかわらず、目の前にいた初対面の先輩方には話すことができた。雄弁会自体がそのような問題を扱って研究を行っていくようなサークルであるからということも考えられるが、それだけではないと思う。
雄弁会の先輩方は、本当に様々な魅力的な人がいる。今まで中学や高校でも大人数の学校に通っていたため、多くの人と関わってきた自負はある。しかし、今まで出会った多くの人々のどの人とも似ていなかった。そのため、どの先輩方と話をしてもそれぞれいろいろな考え方を持っていて、コンパの間の二時間弱はとても刺激的だった。帰宅してからもそのとき出会った様々な考え方が頭の中をぐるぐるして、興奮して眠れなかったことを覚えている。またその人たちと話したくて通っているたびに、気づいたら入会していた。これが、私がなぜ雄弁会に入ることにしたかについての大きな理由である。

 四月にどんな新入生が入ってくるのか。一癖も二癖もある後輩たちが入ってくるだろう。私たちはあのとき憧れた魅力的な先輩方のようになれるだろうか、そんな期待と不安が入り混じる。早く後輩たちと面と向かって話をしてみたい、きっと、後輩たちからもいろんな考え方を知ることができるだろう。そんな期待で胸が膨らむ今日この頃。

"Don’t feel, think" 教育学部二年 山口宇彦

 1970年、大阪で開催された万国博覧会のテーマは「人類の進歩と調和」であった。高度経済成長の中で日本人が抱いた、科学技術の発達が人類のすべての課題を解決し、平和で繁栄した社会を作ることができるという、前向きで希望に満ちた未来予測がこのテーマには込められていた。ではその万博から40年以上経ち、「人類の進歩と調和」は実現しただろうか。
 現実は遠いと言わざるを得ないだろう。世界中でテロ組織が暗躍し我々の生活は常に脅かされる時代となっている。天井知らずだった経済成長にも限界が見え、持てるものと持たざる者の格差は広がる一方である。先進国ではアメリカ大統領選におけるトランプ候補の躍進やフランスの国民戦線の台頭など、ナショナリズムが吹き荒れている。さらに地球規模では環境破壊が深刻な問題となり、人類の種の存続すら問われる事態となっている。科学技術の発展によって人類の問題が解決され平和で繁栄した社会を作りあげるという、1970年に日本人が抱いた崇高な理想は、消えてしまったかのようにみえる。この状況を前にして、社会を変えたいという志を持つ若者はどうすればよいのだろうか。私たち雄弁会の会員たちもそれぞれの志を抱き日々の活動をしているが、混迷極める社会を前にして、その志がくじかれそうな思いをするのも事実である。解決すべき課題の多さ、そのハードルの高さ、将来予測の困難さに、無力感を感じざるを得ないのである。
 おそらく雄弁会以外の、社会を変えたいと大志を抱く人、そしてそうでない人も社会の混迷を増す様に、無気力さを感じ、時に目を背けたくもなるだろう。何せ明確な正解を見出すことが出来ないのだし、既存の権力は問題に対し何ら抜本的な解決策を打てないように見えるのだから。しかしここで重要なのは解決できるかできないかはともかく、とにかく関心を向け続け、考え続けることしかないのだ。もし無力感のまま社会と向き合えば、私たちはしばしば投げやりな解決策を選びがちになる。かつて世界恐慌の混乱を前に、ドイツやイタリアは、独裁者に自ら身を委ねた。経営危機に陥った多くの企業は、自らの手による解決を先送りとして粉飾決算をはじめとした不正による危機の先送りを図った。その結末がどうだったかは語るべくもないだろう。私たちが問題解決を避け、何かウルトラC的なものに解決を委ねようとしたとき、悲劇は起きるのである。
では、この時代、私たち一人一人は社会とどう向き合えばよいのだろうか。私はタイトルで述べたように「感じるのではなく、考える」ことが重要であるとしか言えない。映画『燃えよドラゴン』でブルース・リーは「考えるな、感じろ。」という名言を残したが、現代社会と向き合い、意思決定するには「考える」ことがなによりも重要なのだ。「考える」とはつまり理性を持ち長期的な展望を持ったうえでの思索である。それをなくしては、私たちは、時代や組織の空気に気づけば流され、社会の誤った部分を見過ごし、将来的に自ら自身を滅ぼしてしまうのである。感情をなくせ、と言うつもりはないが、理性的側面を強化し続け、少しずつ変革を図ることしかできないのである。
今年は参議院選挙がある。今年は18歳以上に初めて選挙権が拡大される。将来的展望を持っている若者こそが、刹那的判断ではなく、長期的な視点での投票をして、政治に自らの意見を反映させていく必要があろう。

"Amor fati" 商学部二年 清水寛之

「人間の偉大さを言いあらわすためのわたしの慣用の言葉は運命愛である。何ごとも、それがいまあるあり方とは違ったあり方であれと思わぬこと、未来に対しても、過去に対しても、永遠全体にわたってけっして。必然的なことを耐え忍ぶだけではない、それを隠蔽もしないのだ」
ニーチェ『この人を見よ』

 哲学者ニーチェの著作『この人を見よ』の一節である。人間が永劫回帰の世界を肯定していくための在り方を述べたものであるとされる。ニーチェに限らず、一般に哲学の解釈や理解は個々人により多岐にわたる。また、哲学の意義を社会に対する批判を涵養し実践へと結びつけることに求めるならば、敢えて解釈の多様性を是としたいと思う。従って、本コラムでは私自身がこの言葉に感ずるところの意義を述べていきたい。
 では何故、この言葉に少なからぬ感銘を受け、筆を執ったのか。それは近年の政治や社会制度を始めとする様々な問題から、日常生活に至る多くの分野において虚無的な言説が蔓延しているように思われ、であるとするならばそれに問題意識を抱くからに他ならない。当然ながら、政治における期待度の低下などは近年に始まったことではないし、個々人の日常生活に何らかの「堕落」のようなものを見いだそうという意図は毛頭ない。何より、私などが他者の在り方について偉そうに語り得る資格や見識は全く有していないことも事実である。  
 ここで話を本題に戻したい。そもそも虚無とは何か。また、なぜ超克すべきなのか。一つ例をあげて述べたい。バブル崩壊より2010年頃までの時期は、日本社会では「失われた20年」という呼び方で表される。戦後の焦土から復興し高度経済成長期を経た日本が経済大国として君臨してから、バブルを機に不景気に陥り低迷を抜け出すことの出来なかった時代を端的に表した言葉だ。そしてこの一年か二年のうち、日本は「失われた30年を迎える」という言説が散見され始めている。勿論、西欧諸国を始めとする先進国は軒並み低成長時代に突入しており、人口や技術革新などの成長著しい発展途上国の現状に鑑みれば日本の努力如何などにはかかわらず、これまでの2,30年間の事態は当然の帰結であるように思われるし、これからも大きな成長などは望めないだろう。また、そもそも充分な物質的繁栄を手に入れた我が国が、これ以上の成長を望む必要があるかということについても議論は分かれる。しかし、私がここで問題に感ずるのは日本の現状そのものではない。「失われた」という否定的なニュアンスで私たちの遠からぬ過去や現在、そして未来を語り、負の烙印を押すことが我々を不幸にしてしまっているのではないかということだ。もはや生きていくことには困らず、日常の安全が脅かされることも無い私たちにとって(子どもの貧困や原発事故による安全神話の崩壊等の新しい問題に対して目を向けていかなければならないことは言うまでもないが)、右肩上がりの時代の価値観のまま現在を見つめ悲観するのではなく、新しい時代の到来を運命と捉え積極的に恩恵を享受しその時代を肯定していこうとする姿勢こそが我々に幸福を齎すのではないか。物は言いようと言うが、我々の置かれている状況もまた感じ方次第である。これは現実からの「逃げ」ではなく、寧ろ現実に向き合う「誠実さ」であると思う。
 最後に一つだけ、誤解の無いように付言しておきたい。私は全てをありのままに肯定し、ただ盲目的に生きるべきであると主張する意図はない。まして僭越ながらも社会変革を志さんとする立場である以上、それは絶対に肯定すべきではないだろう。私が述べてきた運命愛とは、今置かれた現実を見つめ、受け入れることである。しかし、「受け入れる」とは「諦める」こととは同義ではない。全ては「受け入れる」ことから「始まる」のだ。

『「イマ」というほうき星』法学部一年 野村宇宙

 「いつやるか?今でしょ!
 一時期、この言葉が巷で流行した。今では時折耳にする程度になってしまったこの言葉だが、私はある種、人生の核心を突いた言葉だと思う。実際、この言葉を最初に発した人物は、数多くの偉人の思想や哲学に関する書籍を読み、勉強した結果、彼らの考え方に共通するものとして、「今を大切にすることの重要性」を見出したのだという。それでは以下に、「今の自分」についての私の考えを記したいと思う。
 「自分」には、3種類の自分がいる。過去の自分、未来の自分、そして今の自分の3者である。今の自分はふとした時に、過去の自分に出会う。それは例えば、思い出の場所に行った時。自分にとって大切な場所に行った時、人はそこで過去の自分と出会う。特に、かつて自分が傷ついた場所に行った時、過去の自分はより鮮明な輪郭を持って現れる。だからこそ、過去の自分との邂逅は、時に心痛を伴うものとなる。ここで、「場所に行く」という表現を用いてはいるが、必ずしも物理的にその場所へ行く必要性はない。ふとしたきっかけで思い出し、その場所へ思いを馳せることもまた、過去の自分との邂逅を可能にする。
 次に、未来の自分についてはどうだろうか。過去の自分と異なり、未来の自分の輪郭は、それが近い未来の自分でない限りは、常に曖昧である。それは、未来の自分が想像や推定の産物に過ぎないからだ。未来の自分の輪郭が曖昧だからこそ、人は希望を持つこともできるし、不安を抱くこともできる。また、過去の自分と未来の自分に共通して言えることは、今の自分の変化に従って、両者の姿かたちはいかようにも変化するということである。
 ところで、3種類の自分がいる中で、最も大事な自分は誰だろうか。私は、今の自分だと思う。もちろん、何人もの過去の自分と出会い、言葉を交わし、今の自分の向上に繋げることや、未来の自分をあれこれ想像し、未来に希望を抱くことも大切だ。しかし、それらの行為の両者に関わっているもの、それらの行為の中心にいるものは何か。それは、今の自分である。今の自分がいなければ、過去の自分を意味づけてあげることも、未来の自分を仮定してあげることもできないからだ。言い換えれば、過去の自分も未来の自分も、今の自分がいるからこそ成り立っているのだ。
今の自分の心境や考え方の変化に伴い、過去の自分の意味合いは変化する。具体的に言えば、それまではトラウマだった過去の自分を、他者からの何気ない言葉がきっかけで肯定的に捉えられるようになることなどがそれにあたる。今の自分の心境や考え方の変化に伴い、仮定される未来の自分も変化する。具体的に言えば、一生懸命努力して今の自分が目標を高くしたことによって、未来の自分像も変化することなどがそれにあたる。
だからこそ、私は今の自分を何よりも大事にすべきだと思う。過去の自分、未来の自分を創りだす源である今の自分が、今何をするのか。そこに全てが懸かっているからだ。今この瞬間を何よりも大切にして、1分1秒を全身全霊で生き抜くこと。このことこそが大切であると、私は訴えたい。

「言葉」文学部一年 杉田 純


やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。世中にある人、こと、わざ、しげきものなれば、心におもふことを、見るもの、きくものにつけて、いひいだせるなり。



これは、古今和歌集仮名序の冒頭にある文である。普段私たちが何気なく使っている「言葉」という単語は千年以上も昔から「言の葉」というかたちで使われ続けてきた。今回は、この「言葉」について書いていきたい。

 「言葉」の語源を調べてみると、元々は「こと」という単語であったものに軽い意味を持たせるために「端(は)」という一文字を加えたものであったらしい。当初は「言葉」「言羽」など数通りの表記があったが時代が進むにつれて「言葉」が定着したのだという。つまり、「葉」というものは最初から軽い意味合いを表現するために使われたということである。
 言葉というものはその名の通り本当に軽い、いや、時にはあまりにも軽すぎるものであると私は思っている。というのも、言葉で表現される人の感情はとてつもなく重いものであるからだ。たとえば、大災害を実際に体験した人は、その時見た光景や覚えた感情を言葉で表現し尽くすことができるであろうか。おそらく、どんなにリアリティーのある表現をしてもその人は自分の思いを表現しきれたとは思わないのではないだろうか。本当に心の芯から湧き上がってきたものは
伝えても伝えても満足はできないのではないだろうか。
 少々極端な例を出したが、もっと身近なところでもそういったことは多々あると思う。いじめられた時の苦しみを言葉にできるか?騙された時の悔しさを表現できるか?大切な人との死別を言い表せるか?自信を持ってうなずける人は少ないのではないであろうか。
 そう、人の思いとはとてつもなく重い、文字通り言葉にできないほど重いものなのだ(もちろん、上の例には挙げなかったポジティブな感情にも同じことが言える)。
 人の思いはそんな重いものであるからこそ、言葉はそれを表現するには軽すぎると感じるのである。きっと昔の人々も同じように感じて、「こと」に「は」を付け加えたのであろう。

 そう、言葉は軽いものである。だが、その軽さ故に人から人へと伝わりやすいともいえる。葉っぱが風に乗せられてどこまでも飛んでいけるように、言葉も軽いものであるからこそ感情を誰かに伝えやすくしているという面も大いにあると思う。だからこそ人はそんな軽い言葉というものを使い続けてきたのではないだろうか(現に私も今このコラムにおいて言葉で自分の考えをお伝えしている)。

 私たちは日々、言葉を使っている。それは自分自身に向けたものかもしれない。目の前の一人に向けられたものかもしれない。はたまた、目の前だけでない、もっと多くの人に向けたものかもしれない。いずれにせよ、言葉は誰かの思いを誰かに運ぶ。自分が言葉を使うとき、自分が言葉を目や耳にしたとき、その言葉に含まれているものはとても重いものであるということを常に忘れてはならない、それはないがしろにされてはならないと、私は思っている。

「記憶の棘」政治経済学部二年 高橋美有

パリが未曾有のテロに襲われた11月14日は、私の誕生日でもあった。
朝、起きると、緊迫感のあるパリの様子や響き渡る銃声音を伝えるニュースが目に入り、誕生日特有の幸せな気持ちは一掃された。私のTwitterには、「私は無事です」「人を殺さなければならない理由が分からない」「テロ怖すぎ」といった張りつめたツイートが溢れた。しかし、その緊張感は一日中続くことはなかった。私は、パリの深刻な様子を頭の片隅で意識しながらも、夜になると、友達と美味しいお酒やケーキを楽しんでしまっていた。テーブルの上に置かれた誕生日を祝うオルゴールの音色に耳を傾けながら、こんなことを考えていた。

私たちがこの目で見、耳で聞き、手で触れられる範囲は限られている。どれほど技術が発達しても、私たちが生活している範囲は地球上のごく小さな部分に限られている。私たちは、生まれた土地の慣習や周囲の人々と親しみながら、世界を見る目を養ってしまっている。親友の気持ちを推し量るように、世界の裏側の貧しい子どもの感情に思いを巡らすことは出来ない。兄弟の身を慮るように、海を隔てた国に住む人々の命を心配することは出来ない。これは身近な世界を美しく彩ることであると同時に、とても悲しいことなのではないだろうか。

今年9月、安全保障関連法が可決された。この法律によって、日本と存立が脅かされる存立危機事態や日本が攻撃される蓋然性が高い重要影響事態において、自衛隊が海外において活動できる範囲が拡大された。確かにこの安全保障関連法、集団的自衛権違憲であると思う。そもそも、自衛隊自体が限りなく違憲に違い存在であると思う。陸海空軍その他の戦力を保持しないという条文通りに読めば、自衛隊のような実力組織は本来持てないはずである。しかし、国家の国民の生命や財産を守ることは国家の役割であるのだから、それを果たすための自衛隊を否定することはない、という解釈によって自衛隊は許容されてきた。元来、憲法と事実にはひずみがあるけれども、それでもなお憲法が武力に頼らない平和構築を目指し続けることが、日本の武装化に歯止めをかけてきた。であるならば、問題は合憲か違憲かにはないのではないかと思う。もちろん、権力に抗って人々が法案廃止にむけて声をあげることにも大きな意義がある。しかし、本当に求められているのは廃止だろうか。国会の承認を経ずに自衛隊の海外派遣を認めている例外規定を撤廃するにとどめるだけでも良いのではないだろうか。あるいは、国民の過半数が安保法案に反対しても(読売新聞 9月21日朝刊)、自衛隊違憲の度合いを強める政府の強行を阻止できない政党制度、選挙体制に議論を移しても良いのではないだろうか。

日本は世界3位のGDP、世界9位の軍事費、世界トップレベルの自衛隊装備を有している。紛争の絶えないこの世界で、経済援助だけが日本に求められている役割で無いことは、湾岸戦争において、圧倒的な資金援助をしたにも関わらず、自衛隊を派遣しなかったために各国から日本が批判されたことからも分かる。それ以来、カンボジアでの平和維持活動を皮切りに、イラク南スーダンなどでインフラの整備や衛生環境の改善に尽力している。日本の自衛隊は現地の人々が厚く感謝されているという報告も多々寄せられている。日本の自衛隊が日本国外の人々をもっと幸せにする力があるのではないだろうか。

ジョセフ・ナイは、テロリズムは劇場のようなものであると著書の中で述べた。テロによる衝撃的な攻撃によって、たとえ一瞬であったとしても、私たちの認識世界は拡大したように思う。海を越えたパリ市民が得体の知れない武装集団を恐れたように私たちも爆破テロや銃撃戦を恐れた。人間の認識世界を広げることは不可能ではない。世界の裏側の貧しい人々の気持ちに真摯に思いをめぐらすことさえ不可能ではない。私たちの、認識世界は広がらないだろうか。広げなくてもいいのだろうか。世界有数の経済力、技術力、実力を有し、なによりも平和を望んでいる日本に住む、私たちは。