合同コンテンツ「レスト・イン・ピース」

政治経済学部1年 太田龍之介

「労働」
①、ほねおりはたらくこと。体力を使用してはたらくこと。
②、人間が自然に働きかけて生活手段や生産手段を作り出す運動。労働力の具体的発現。
「余暇」
自分の自由に使える、あまった時間。ひま。いとま。
広辞苑より)

人が働くのは、生きるためである。というのも、我々の多くは衣食住を獲得するための手段として、働くことを選ぶからである。それは狩猟採集社会においても、現代社会においても変わらない。人は生きるための必然を得るために、古今東西、労働に精を出してきたのだ。
しかしながら、所謂「労働」を行うことのできない人も存在する。体に障害を持つ人、病に伏す人、老人などである。大家族のもとでは、老人もほかの家族に助けられながら生活することができたし、彼らもまた子を育てたり、知識を持つ者として指導や助言を行うなど、家族や地域の暮らしにおけるある種の労働を担うものであった。
上記のような家族機能が衰退した現代の日本国においては、このような人々は自らの命を守ることが困難となった。そこで、社会保障という機能によって彼らの命は守られることになっている。基本的に、自分の身を守れないような危機的状態を抱える者に対して、このような保護が行われる。
しかしながら、「おにぎりが食べたい」と書き残して亡くなった北九州の男性のように、あるべき保護を得られずに苦しむ人々の姿もある。このような餓死者は、95年を境に急増し、現在では死亡診断書の定義にしたがうと毎年80人近くの人が餓死しているといい、実際はもっと多くの餓死者が出ていると見積もられている。
日本国は、世界に誇る経済大国である。しかしながら、国内ではこのように餓死してしまうものもいるのである。

では仮に、生活を行うのに十分な必然物資があれば、それで十分なのだろうか。
狩猟採集社会では、人々は労働に換算されるような時間はごく短く、そのほかの時間を余暇として、絵を描く、踊るといった行為(宗教的な意味合いを持つ場合もあるが)にあてていたという。
この余暇という時間が、人々にとって重要な意味を持つ。その余暇時間における行動こそが、その人の人間性を示すという。そのような余暇が人にもたらすものは、自己肯定と精神的満足、そして、新たな労働への活力である。
では現在、国内において余暇と、余暇を保証する時間はどのようになっているだろう。現在、月に80時間以上の労働を繰り返す人は700万人以上いると言われている。子も様な状態は、確実に心身の健康を蝕んでいくという。また、バブル以前にとられたアンケートでは、精神的豊かさと物質的豊かさのどちらを重視するかという問いに対し、物質的豊かさが精神的豊かさを上回っていたが、現在では精神的豊かさを重視するという回答が上回っている。このように、現代の日本国は精神的な充足を得られないと感じてしまう社会なのである。

どうしてこのような状態に陥ってしまったのか。それに関しては次回言及することとする。