『涙のムコウ』 社会科学部1年 平野真琴

二十年ほど前に『五稜郭』という長編歴史ドラマが放映された。榎本武揚里見浩太郎が、土方歳三を渡哲也が、伊庭八郎を舘ひろしが演じた大作である。
僕がこれを初めて観たのは小学四年生の頃であった。一番行きたいところは何処かと問われたら「五稜郭」と即答していた当時の僕は、近所のレンタルビデオ店内を徘徊中にこの作品と邂逅したのである。『五稜郭』は、武揚がオランダより帰国したところから始まり、箱館戦争終結までを描く。ラスト、新政府に登用された武揚はロシアと交渉し、千島・樺太の交換条約を締結する。ロシアからの帰り、武揚はシベリアに立ち寄った。そこで彼は、広大なシベリアの荒野と蝦夷の地を重ねる。さだまさしが歌う『夢の吹く頃』をバックミュージックに、北の海に沈んだ開陽丸が現れ、土方歳三や中島三郎助ら戦死した面々が皆で手を振るシーンが入る。この時武揚は画面の中で目に涙を浮かべるのであるが、僕も心を打たれ、涙を流した。新しい時代への移行期に戦い散った武士たちが、蝦夷地開拓という志を遂げんとする武揚に想いを託している。その時の武揚の気持ちを考えると涙が出ずにはいられない。また彼らが積み上げてきたものの上に自分がいる、ということを考えると、やはり目頭が熱くなるのである。

その後も『五稜郭』をレンタルして涙を流したのであるが、高校生になって『五稜郭』のDVDを購入した。小学生の頃自分を感動させた物語を、手元に保存しておきたいと思ったのである。購入後、早速中身を取り出して鑑賞したが、エンディングソングの余韻と共に画面が真っ暗になっても、一筋の涙も流れなかった自分がいたのである。数回目ということもあり感動が薄れてしまったからかもしれない。しかし、かつてあれほど胸を打たれた作品を観て涙が出てこなかったということは、非常にショックなことであった。

 振り返ってみると、最近テレビを観たり本を読んだりして、強く感動したり涙を流したりすることが殆どなくなってしまったような気がする。もしやすると感動に値する作品に出会っていないだけなのかもしれない。しかし年齢を重ねたせいであるのならば、それほど悲しいことはない。思春期は感受性が豊かになると言われるが、逆に色々なものを見てきたせいで感動する心を失っているのだとすれば、それほど切ないことはない。

 そういえば最近一度だけ、作品を前に涙を流したことがある。高校三年生の受験勉強期、過去問題集の古文と格闘していた際の話である。ある女に強く想いを寄せていた男が、女の入内を知ってショックのあまり寝込んでしまう、というところから始まる話であった。最後に女は、男に向けて歌を詠む。
別るとも絶ゆべきものか涙川行く末もあるものと知らなむ
たとえ離ればなれになってしまったとしてもあなたとの関係が変わるわけではない。この歌の解釈を問う選択問題では、そのような訳が正解になっていたと記憶している。この歌を読んだ時、僕は一人勉強スペースであった図書室で涙を流し、その日はそれ以上勉強を継続することが不可能になった。
なぜ涙が出たのか。それは今でも分からない。強く愛した相手をとられてしまった男の無念に心を打たれたからかもしれないし、はたまた入内を決断しながらも心の底では男と結ばれることを望んでいた女の気持ちに同情したからかもしれない。だがそれよりは、受験に失敗して一人取り残されることへの恐怖からきたであるとか、数か月後に訪れる卒業の寂しさと重なり合ったからであるとか、そちらの方が適切なのかもしれない。本当のところはよく分からない。しかし、そういうものなのではないか。「琴線に触れる」という言葉があるが、それは突然やってくる。そして、言葉では説明できないのだ。テレビを観たり本を読んだりしてしばしば涙を流すよりも、理由も分からずふと心を打たれる瞬間がたまに訪れる方が素敵であるような気もしてきた。そんな瞬間が、またやって来てほしい。

 『五稜郭』のラストシーン、ナレーションが流れる。
「この時、榎本の目に光る涙が何であったか、それは榎本武揚以外、誰一人知る由もない。」
 自分の目に光る涙が何であるのか、自分自身にも知る由もないこともあるのだ。

僕が念願の五稜郭に足を運んだのは、高校一年生の三月頃であった。まだ雪も残り寒かったが、非常に嬉しかった。また行ってみたい。今度は桜の綺麗な時期か、土方が斃れ五稜郭に白旗が揚がった五月がいい。桜吹雪か五稜郭祭を目の前に、ふっと、涙が浮かぶかもしれない。