『声をかける』 基幹理工学部1年 宮川純一

2か月ほど前に、人生で初めて骨折した。その後1か月は何をするにもお金と時間と体力を沢山掛けなければならないので、骨折は個人的に大事件であった。今回は、骨折後医者に行き、その帰路を初めて松葉杖で街を歩いた時の体験について記す。

そもそも骨折した理由は完全な不注意だった。宴会の席で正座した状態から不注意に立ち上がったところ、バランスを崩して足の甲に全体重がかかって激しく転んだ。このとき骨折したのだ。だがこのときはしばらく痛みで立てなかったものの、捻挫ぐらいだろうと高をくくっていた。
割と痛みは強かったが何とか帰宅し、とりあえず行き着けの接骨院に行った。そこで初めて通常の皮膚の位置から1,2センチ上部まで膨れた上がった足の甲の腫れを見た。骨折に違いないから整形外科に行くことを勧められた。整形外科に行き、レントゲンを撮って骨折とわかった。次の瞬間には足にはギブスがはめられ、両手には松葉杖を渡され、気が付いたら病院から家まで松葉杖をついて帰らなければならない状況になっていた。
楽観していた私も、そこでやっと酷い状況になったと気が付いた。
ともかくはじめてだった松葉杖になれようとゆっくり歩いてみた。これが意外と辛い。両方の手の平に体重をかけるのだが、2,30歩目から腕が痺れだし、100歩も進むと手の平の付け根の痛みと痺れで、どうしても1度休憩が欲しくなる。一息ついてはまた歩き、少し休む。そうして結果普段なら自転車で5,6分の帰り道に移動時間だけで1時間近くかかった。
さて、その帰り道には様々な人がいた。
道行く人の多くは、ぎこちなく歩く私のほうに興味深げに目を向ける。商店街で少なくとも100人には凝視されただろう。中には、好奇心によるキラキラした目で、微笑みすらたたえながら、こちらを何度も何度も見るご婦人までいらした。私は心穏やかではなかった。歩行にひどく辛い思いをしているのに、さらし者になった様な気がした。街中ではあったがあまりの恥ずかしさと惨めさから発狂したいと思った。
そんな中、私は3人の方に声をかけられた。
一人目は体の調子を良くする新興宗教の団体に属する、50代くらいのご婦人であった。すっと近づいてきて、怪我や病気が酷かったが、その宗教の先生に診てもらってよくなった事例を懇切丁寧に説明して頂いたが、丁重にお断りした。
二人目は自転車に乗ったおじいさんである。すれ違いざまに、いきなり声をかけられた。「あなたも骨折ですか、でもいいですね若いから。俺なんてもう何か月も治らないんですよ」私には談笑をする余裕がなく、「それは相当ご不便でしょう大変ですね」と答えると「大変なんてえもんじゃねえよ」と捨て台詞を吐いてまた自転車に乗って行ってしまった。こんな状況なのにストレスの掃き溜めとは困ったものだと思った。
骨折と松葉杖が、宗教の勧誘や愚痴こぼしの餌食になる引き金になることを私は知らなかった。
二人に出会ったことで、ますますしょげ返って、それでも坂道に悪戦苦闘していたとき3人目が現れた。60歳代くらいのご婦人。例のキラキラした目でこちらをみている。私はなるべくそちらを見ないようにしていた。すると
「大変ですね、何かお困りじゃないですか。」
と優しく聞いてくださった。私は、もちろん特に何かをお願いすることはしなかったが、大変救われた気がした。世間では骨折した自分を弱者として狙うだけでなく、優しい手も差し伸べてくれるのかとそう感じた。
もしかしたらじろじろ見ていた人も、松葉杖をつく私に困ったところがなさそうか気遣って下さっていたのかもしれない。だが、声をかけていただくまで「あの目」を親切のつもりかもしれないとは思えなかった。
言葉だけでは、ものは伝わらないとお叱りを受ける機会も多いが、言葉に出さなくてはわからない観点が確実にあると、そう思った出来事だった。

ちなみに現在、足は完治し平常通りの生活に戻っている。
今となっては骨折したおじいさんを思い出すと胸が痛む。やはり話しかけて来て下さったおかげで伝わったものがあった。
声に出して言葉で伝えることは、やはり大切であると思う今日この頃である。