「希望に満ちた出発のために」

社会科学部2年 杉山健太
この世界は、必然と偶然に満ちている。必然とは、人為が影響を及ぼしえない事象のことをいう。たとえば、自然災害、生きるため必要な労働、身分制度など、経済動向もそうかもしれない。偶然もまた、人為が影響を及ぼしえない事象のことをいう。たとえば、自分が人生のなかで決めたことが、将来にいかなる帰結にいたるのかは、人間には計り知れないことである。これら必然と偶然は、近代以前の世界においては、当たり前のこととして不可思議な自然の摂理として、人間は耐え忍ばねばならなかった。
 しかし、近代になると、われわれ人間は、自然を模倣するという意味での技術artsから転換し、自然を征服するという意味でのtechnologyを発展させ、人間にとって不条理な必然と偶然をこの世界から滅却しようと試みた。身分制度を廃し、万人平等を実現した。労働しなければ生きていけないのは今後しばらくは変わらないであろうが、社会保障政策によって老後は働かなくても生きることができるようになり、とりわけ先進国に生きる若者は労働からのモラトリアム=猶予期間を得るようになった。その結果、これまで人間に許されていた選択の狭い範囲は拡大し、それを人間は自由の実現であるといった。しかし、自己が選択した行為がいかなる結果になるのかは未知数のままである。どの行為が自己を幸福にし、不幸にするのかは分からない。

 有島武郎いわく、
「君よ!今は東京の冬も過ぎて、梅が咲き椿が咲くようになった。太陽の生み出す慈愛の光を、地面は胸を張り広げて吸い込んでいる。春が来るのだ。
 君よ、春が来るのだ。冬の後には春が来るのだ。君の上にも確かに、まさしく、力強く、永久の春が微笑めよかし・・・」

 世の中は、第二次世界恐慌の様相を呈している。われわれ「学」んで「生」きるものが為さねばならないことは、一刻でも早く、希望の政治学、希望の経済学を打ち立てることである。希望に満ちた出発がみなのもとに訪れんことを。