「やさしさの連鎖」

教育学部1年 岡田想
私は一人で旅行に行くのが好きで、中学3年のときに沖縄に行ったのを始め、これまで日本の様々なところを訪れた。世界的に見れば狭い日本ながらも、風土や方言など各地域の違いを直に肌で感じることができて本当にいい経験ができたと思っている。北海道では一般路で鹿や狐を見ることができたし、東北地方で地元の人と話したときは、山口県出身の私にはその内容を理解することができず方言の豊かさを感じることができた。しかし、これらはあくまでも旅行の魅力の一面でしかないと思う。これまで何度も旅行をしてみて、旅行において何が最も魅力的かと聞かれれば、私は自身をもってこう答える。それは、人がもっている優しさのありがたさを痛感することができるという点だ。そう考えるにいたった、今も忘れられないエピソードがある。

 中学卒業後の春休みに高知県に行こうとしていたときのこと。小雨の降りしきる中、私は無謀にも自転車で愛媛県から四国山脈を越えようとしていた。幸い自転車が故障することはなかったが、山頂の愛媛県高知県の県境を越えたのは午前0時近くになってからだった。体力も限界に近づいていた私は、とりあえず少し進んだところにあった道の駅で一夜を明かすことにした。当然ながら、施設は営業時間を過ぎており施設の外の雨風しのげる場所で野宿をすることに決めた。しかし、運のいいことにその施設の従業員の方が私を見つけて声をかけてくださり、事情を話すと、その施設の温泉に特別に入れてくれたばかりでなく、食事と寝床も提供してくれたのである。そして、その従業員の方と一緒に温泉に入っているときの言葉が今も胸に残って忘れることができない。
「今日ここで僕が君にしたことを、君はいつか別の形でほかの人に返すんだよ」。
その施設の規則を破ってまで私のために尽くしてくれた人の言葉として、私の心に強く残っている。

 人は本来誰しもが、他者に対する思いやりを持っているのではないだろうか。日々の生活の中で、バスの中でお年寄りに席を譲ったり、地域の清掃を手伝ったりと小さな親切心で行動したことがあることだろう。このような親切心、いわばやさしさの連鎖が社会で大きな役割を担っているのだと感じる。

しかし、医療の現場においてはやさしさの連鎖が危機に瀕しているようだ。転んだだけなど医療的処置を必要としない軽症患者と呼ばれる人々が昼夜を問わず、コンビニ感覚で病院に駆け込むことで、医師達の労働環境が悪化し医師を退職に追い込んでいるというのだ。例えば茨城県内では救急車利用者の50%強が軽症患者であり、全国的にも軽症患者が時間外に病院に訪れる割合が増えている。優しさを持って私たちの健康を支えている医師の健康を守るためにも、私たちが医師に対する思いやりを持って病院に訪れるべきなのではないだろうか。

やさしさの連鎖、今一度他者に対する思いやりとは何なのかを再考してみてはいかがだろうか。