「"大人"になるということ」

文化構想学部一年 室崎雄志


 私は地元で成人式実行委員をやっている。成人式におけるイベントの企画や、当日の運営などを行うのが仕事である。
 そんな成人式実行委員である私だが、成人式でのイベントの一環として、中学校時代の教師からのメッセージをビデオレターで上映することとなり、先日、その撮影のために、およそ5年ぶりに母校に足を踏み入れた。
 せっかくの機会だから、ということもあり、友人も数人連れていったため、先生方も含めて、懐かしい話題で盛り上がり、たいへんにぎやかな撮影会となった。
 
 そんな中、先生が私たちにこんなことを言った。
 「早いもので君たちももう20歳ですね。立派な大人になったんですね。」

 私はこの言葉を聞いて、正直少し戸惑った。
 
今でも、中学校時代の友人と、中学校時代と同じように話し、笑っている私は、はたして本当に「大人」になっているのだろうか。「大人になる」とはどういうことなのだろうか。
 
 撮影後に皆で食事に行くことになった。そこで私は中学卒業以来連絡を取り合っていなかった友人らの近況を初めて聞くこととなる。
 私と同じように大学や、専門学校に進学している者もいれば、社会に出で働いている者もいた。しかし、私が何より驚いたのは、結婚して、子供が生まれている友人がいたことだった。

 法律的には私たちの年齢で結婚することになんら不思議はない。しかし、まだ大学生であり、結婚などということを少しも考えたことのない私にとって、私と同じ時を過ごしてきた友人が結婚して、そしてさらに子供が生まれたということは、驚愕するに足る衝撃の事実であった。
 
 友人に、子供の写真を見せてもらった。ベッドの上で眠るその顔はとても安らかで可愛らしかったが、それよりさらに印象的だったのは、子供の隣にいる友人の、中学時代より幾分たくましくなったように見える笑顔だった。

 「まあ、守んなくちゃなんないものができたからな」

 はにかむように言った彼のセリフが心に残る。
 
 「大人になる」、そのたった五文字の言葉は様々な意味をもっていると私は思う。それはもちろん20歳になることもその意味の一つだろうし、あるいは庇護者のもとを離れて、独り立ちするときがその意味するところなのかもしれない。
 そして私は、その言葉には、自分たちだけではなく、自分たちの子供、次の世代のことも考えるようになる、という意味が含まれているのではないか、とその時ふと思った。
 自分のことで精いっぱいだった子供時代を離れ、自分の半身たる、次世代を担う者の幸せを考えるようになる。
そうなることが「大人になる」ということの一つの意味ではなかろうか、と。

私達には「守んなくちゃなんないもの」があるのである。
現代社会はさまざまな危険性をはらんでいる。身近なところでは、事故米に代表される、食品の安全性の欠如。もっともっと大きなことを言えば地球温暖化に代表される環境問題によって、我々が住む地球の環境が危険にさらされているともいえる。
私達は守るべきものを守るために、もっとそういった危険性を知り、もっと積極的に対処する必要があるのではないだろうか。現代に存在している危険性を放置しておくことは、我々だけでなく、次世代、次々世代にまでを危険にさらすことになるからだ。他人事だと思って無関心ではいられないのである。
私は、友人と、安らかな顔で眠る彼の子供の写真を見てそう感じた。

私達、昭和と平成という、二つの世代にまたがって生まれた世代は、来年の一月に成人式を迎える。
はたして私は、私達はそのとき「大人」になれているのだろうか。