「願い」

教育学部1年 岩本慧

遡ること二ヵ月半、ちょうど夏季休業のお盆にあたる時期に、私は福岡県福岡市にいた。遊説終了後、私は友人とともに観光を楽しんでいた。

名物のモツ鍋に、明太子、そして博多ラーメン。牛飲馬食のごとくおいしいものを片端から頂き、ビールや焼酎に舌鼓を打つ。

「おいしい・・・」と「うまい・・・」を何度口にしたことか。やはり名物は当地で食うに限る。例に洩れず私は、有名な屋台が立ち並ぶ一角を友人と散策して、とある一軒の屋台に腰を下ろし、湧き上がる食欲に素直にラーメンをすすっていた。
屋台には私達のほかに年配の方が1人腰掛けていた。彼は明太子をつまみにビールをあおっていた。彼は「日雇いじゃここでちびちび飲むくらい限界なんだよ・・」口々につぶやく。彼は生活の苦しさをにじませた言葉で私に語りかけた。

生活が苦しい高齢者は彼だけではない。平成17年度の厚生労働省の統計によると生活保護を受給している60歳以上の高齢者の被保護人員は被保護者全体の49.8%と半数を占めている。生活保護受給世帯数が100万世帯以上ということから考えてもこの数は多いだろう。

そのような状態にもかかわらず、1960年から70歳以上の高齢者の生活保護に上乗せされてきた老齢加算が2006年度三月をもって全廃された。これに対して全国8都道府県で老齢加算廃止の撤回を求める行政訴訟が起こされている。

では、なぜ老齢加算が廃止されたのか。それは、政府による社会保障制度の見直しや財政再建の方針が引き金となったからだった。2000年の介護保険導入時の生活保護の見直しに関する付帯決議を機に、2003年の経済財政諮問会議での「骨太の方針」、社会保障審議会意見、財政審議会の建議などで生活保護が見直しの対象にされた。特に財政審では70歳未満の受給者との公平性や高齢者は消費が加齢に伴い減少する傾向などを理由に検討され、厚労省生活保護基準の再検討に着手し、老齢加算を廃止という方向性で取り決められた。
厚労省生活保護基準を下回る生活の人が多い一般低所得者層の消費水準について、70歳以上と60歳から69歳の人を比較し、70歳以上の人が低いという理由で老齢加算には特別な需要は認められないとした。

確かに、給付を適正化して現役世代の負担を減らし、社会保障制度の持続可能性を高めねばならないとする政府の見解は一理ある。700兆円を超す国・地方の長期債務の増加を止めるには、社会保障費にメスを入れざるを得ないという考えからだが、これ以上の給付抑制は担い手そのものを崩壊させかねない。
わが国の憲法生活保護法が保障する最低限度の生活は果たして保障されているのだろうか。現状からみればその答えは明らかである。少なくとも、増税を含む税制改革などの歳入を拡充し、社会保障費の安定財源を早急に確保すべきである。

合計特殊出生率が1.26、平均寿命が男78.53歳、女85.49歳から男83.67歳、女90.34歳へ延びると仮定すると、約50年後の2055年は高齢化率が約40%となる。現在の支え手側と支えられる側の比率が3人で1人を支える形だったのが、1.2人で1人を支える(20歳から64歳で支える)形の超高齢社会を迎える。

また、現役世代の負担増から、世代間格差を是正した持続可能な制度設計も同時に求められる。来るべき超高齢社会の到来に向け、社会保障制度の整備は速やかに行われなければならない。

誰しもが、人生の最後まで尊重され、暮らしていけることを願って。