「成人を迎えて」

政治経済学部1年 太田龍之介

来月成人を迎えるにあたり、これまでの自分を振り返ったり、これから発生する様々な社会的責任について考えをめぐらせたりすることが多いこの頃である。つい先日、そんな私の手元に一通の手紙が届いた。それは、社会保険事務所からの、国民年金加入の案内状であった。成人に伴う社会的責任をあまりに唐突な形で突き付けられたので驚いたが、友人で既に年金未納者になっている者もいる。手続きをさっさと済ませてしまいたい。
 
年金といえば、社会保険庁の記録問題を巡って春頃からずいぶんと騒いできた。今まできちんと保険料を納めてきたのに、もらえる額が少ない、最悪給付されない。そのようなことがあっては、何のために今まで真面目に納めてきたのだろう、というやり切れない気持ちになるだろう。

記録漏れにとどまらず、年金を取り巻く問題はかなり深刻である。現在我が国の年金制度は「世帯間扶養」、つまり若い人が納めた年金保険料で高齢者を支えるという形態を取っている。しかしながら、出生率の低下と高齢化率の増加が同時進行する昨今、年金負担の担い手の減少と給付を受ける人間の増大が同時進行し、いずれ年金というシステムが立ち行かなくなるということが以前より指摘されてきた。国民年金の月当たりの負担額が14,100円で、基礎年金受給額の平均が50,000円近いことを考えると、それも頷ける。一人を三人で支えてやっと成り立つ水準だからである。

このような問題に対してどのような解決策が取られるべきであろうか。解決の大きな方向性としては、
①、年金システムの存続のための施策
②、年金システムに依らない生活保障体制の確立
の二つが考えられる。前者であれば、働きながら子供を持ちにくい環境の改善のための施策や、子育てに伴う負担の軽減を図ることが考えられる。具体的には託児所のような施設の拡充、児童手当の増大や学費の減免などを行い、子供を持つことを時間や経済的要因から妨げられないようにする。後者であれば、高齢者の社会進出を促すことで、年金の給付だけに依らない生活を送ることを助けるシステム作りが考えられる。具体的にはこれまでに培った技能や知恵を後代に伝える指導員としての雇用や、パートタイマーとして現場に残るなどして、副次的であれ自分で収入を得られる道を残すことである。

 これから納める年金保険料が、きちんと必要とする人のもとへ行くように、そしていずれ自分がもらう側になったとき、きちんともらえるように。それを願うばかりだ。