「そこに山があるからだ」

社会科学部3年 中村翔

――どうして山に登るのか?
―――"Because it is there."(そこに山があるからだ)
誰もが一度は聞いたことがあるだろう。名登山家、ジョージ・マロリーの言葉である。
幼いころ父と北アルプス(長野県)に行ったとき、彼の石碑を見たのは今も覚えている。論理的には答えになっていないが、どこか不思議な魅力と説得力を感じる言葉だ。

私がふとこの言葉を思い出したのは、最近塾講師のアルバイトを始めてのことだ。
山登りと教育は、少し似ている。初めて山に登る人間は、それにより自分がどのような利益・満足を得るのかを、ある程度高く登るか、場合によっては登頂するまで分からない。
学校教育も同じである。学校教育で子供たちに示されるかなりの部分は、当の子供たちにはその意味や有用性は分からない。なぜなら教育は、教育から受益する人間は、自分がどのような利益を得ているのかを、教育がある程度進行するまで、場合によっては教育課程が終了するまで、言うことができない、というパラドックスを孕むからである。
故に教育では、大人のある程度の温情主義的な介入が不可欠となる。

しかし、どのような温情が適切なのか??ここにもまた、難しい問題がある。

今時代は、リスク社会を迎えている。リスク社会とはつまり、「努力と成果の相関がもはや信じられない」社会である。偏差値で選抜された高学歴が安定する保証は、今やどこにもない。

では何が保証してくれるのか??
しかしこの応えも、未だ確かなものはない。

高学歴からホワイトカラーに入っても、安定があるとは限らない。
かつてアメリカの勝ち組の象徴であったIT関連のホワイトカラー層も、インドの台頭により今や大半がリストラもしくはかつての10分の1の収入で職に就く。そして日本にも、徐々にその魔の手は迫っている。

しかしそのために、いわゆる生産性の高い創造性ある人間になるために、今何をすべきか、何を後世に教え、育むべきか、その答えは未だ迷走を抜け出てはいない。

産業界は教育に創造性ある人材を求めるという。もう少し詳細に言えば、
① 志と心(社会貢献の意欲、目標達成のための責任感や志の高さ)
② 行動力(情報収集・交渉などを通じて目標を達成する力。そのためには高いコミュニケーション能力が必要。)
③ 知力(論理的・戦略的思考力。高い専門性や独創性。)
を兼ね備えた人材だそうだ。しかし志はもとより、コミュニケーション能力もよく言われるが何かと問われれば難しい。IQですら、ひとつの要素にしか過ぎない。
ゆえに、そのために何をしたらいいのか、何が必要なのかは、明らかでない。


「どうして勉強しないとなのかなぁ。」
明るくも中学生の女の子がぼやいた時、私は思わず応えに窮した。

教育という山に、かつてのような安定という意味付与ができない今、自分が何を教えられるか・教えるべきかが分からなかったからだ。

――どうして勉強するのか?
―――"Because it is there."(そこに山があるからだ)

これ以上の回答を、今私は持ち得ない。