第六弾「最終回。」

法学部1年 小島 和也


私はこれまで、所与の共同体の中でもとりわけその構成員と最も生活を共にする「家族」というものの崩壊というものに負の価値判断を下してきた。家族の構成員の中でも最も弱い存在、家族の構成員に経済的にも、道義的にも頼らざるを得ない存在「子供」にとって安心の場所ではなくなったということに問題を感じざるを得なかったのである。そして家族の構成員に自らの生を脅かされてしまう「幼児虐待」を解決すべきであると考えたのである。なぜならば今後21世紀を生きる子供が人に対して信頼感を感じることができなくなったとき、他人と日常的に生活を共にできなくなったとき「お互いがお互いを必要としている」という感情を日常的に感じることができなくなってしまうと考えたからである。そしてそのような感情を持つことができなくなったものは共存しにくくなってしまう。事実少年犯罪を行ったその50%ほどの子供が過去に幼児虐待を受けており、幼児虐待を受けたことのある子供の60%ほどの子供が「他人を信頼することができない」と言っている。

現代の日本において「家族」というものが唯一「生涯にわたって子供の経済的、道義的責任を負うもの」である。これは日本人の慣習として定着しているものであるが。近年の個人化の流れや中間共同体の崩壊の流れに乗って、家族という共同体の果たす役割が相対化してきたと考える。しかしながらこのような「家族のラフスタイル化」の流れに乗って「子供の社会化」機能まで家族以外の機関に完全に委託することはこれまで機能してきた家族という共同体を根本から崩壊させてしまうと考え、その流れは阻止する必要があると考えたのである。

そして近年、家族形態の変容、都市化による地域共同体の関係性の弱体化という社会的要因によって、子供を育てにくい世の中になってきたということを解決するために今回報道コンテンツ「家なき子」を始めたのである。
本コンテンツを通じての思想深化を述べさせて頂きたい。当初想定していたのは、都市に住んでいる人を地方にU、Jターンをしてもらい、これまで知り合いであった人々と日常的な関わりを行い協力し合い「育児不安」をなくしてゆくというものであった。しかし、現在都市で発生している幼児虐待を解決するためには都市において人々が日常的に協力し合って解決をする必要があると考えるようになった。というのも、現在都市に住んでいる人々は都市へ流入してきた人の2代、3代の人が多くたとえ都市にいる人々が地方に行ったところでこれまでの関係性がないがゆえに人々の間に必ずしも共助関係が生まれるとは限らないという新しい観点を手にしたからである。ゆえに今後は都市にいる人々が日常的に助け合うにはどのようにすればよいのかということを研究したく思う。近年価値観が多様化してきたといわれているが、そのような多様な価値観を持った人がどのように協力するようになるのか、そのような人々の間の公共性なるものはどの用に構築されうるのかということについて研究を進めてゆく。
人間は己の欲に従いどのような行動でも行いうるのであるが、人々が何にも束縛されずに自由な行動を行っていると人々の間に必ず軋轢が生まれる。ある人にとっての良いことが、ある人にとっての悪いことになりうるのである。さらにどのぐらいの行動なら規制してよいのかという問いに対して、誰一人として論理的な絶対普遍の答えを出すことのできる人は存在しない。ゆえに人々は共同体を構築しその中に秩序を安定させる機能を託したのである。そしてその中の規範というものは共同体の中で人が生き、これまでに構築されてきた慣習、社会秩序、民族性、国民性により作り上げられた法であった。その法を法律として国家が明文化し秩序安定の正当性として用いたのである。さて、国家という共同体は、その他のさまざまな共同体の集まりである。地域共同体、学校、サークル、家族。人々は身近な共同体において人々と日常的に関わってゆくことによって「社会性」を身につけるのである。社会性とは人々が相互に齟齬しあわないように見につける社会秩序のことである。たとえば、家族の中において幼児は社会化され、親に言葉や道徳等を学ぶのである。さらに学校で校則を守ることによって人々は社会秩序、規範意識を学ぶわけである。このような共同体内の機能がうまく機能することによって、国家という共同体の機能がうまく果たされるのである。そしてさまざまある共同体の中でも所与のものであり、その構成員と最も生活を共にする「家族」というものが機能しなくなったときその他の共同体がうまく機能しなくなる。反社会的な行動(犯罪)を行う少年の半分が「うまく家族共同体が機能していなかった(虐待を受けていた)」ことを見れば一目瞭然である。また家族共同体が子供にとって安心の場であることによって、子供は価値観の違う他人とも関わってゆくことができるのである。このように共同体の中でも最も日常的に人々が関わる「家族」を安心の場にすることは人々に社会秩序を身につけさせる上で重要なことなのである。
そして私は、この家族共同体の安定を地域共同体の関係性を密にすることによって達成しようとしたのである。近年様々な家族形態が出てきたがやはりこれまで人々の慣習として一般的であった「家族の中で子供を育てる。」という家族の機能は死守する必要があった。とはいえ、近年共働きをせざるを得ない人々が増加していることが示しているように、「育児を外部機関に委託しなければならない」という人々が増えている。また逆に家庭内で明確に仕事と家事を分担したほうが(近代家族モデル)の方が片方の親に負担がかかりすぎて「育児不安」が起こりやすいということも考慮しつつ今後の「家族」のあり方を考える必要が出てきた。ただ、今回「育児機能を家族以外の機関に委託すること」に価値判断を下せたこと、また地方の共同体を保持するための産業政策を提示できたことはきわめて有益であったと考える。
以上本報道コンテンツの総括としたく思うが、今後もコメント欄や有弁解の議論掲示板での議論は継続していきたく思いますので、何か御座いましたら、それらまで宜しく御願い致します。閲覧者の皆様、議論を喚起してくれた皆様、本当に有り難う御座いました。

以上、2006年度前期早稲田大学雄弁会 報道コンテンツContents for Sending Values「家なき子

(文責:早稲田大学法学部1年 小島 和也)





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