「正しい人生」法学部一年 野村宇宙

「間違った旅路の果てに正しさを祈りながら」。

これは、日本のロックバンドBUMPOFCHICKENの「ロストマン」という曲のワンフレーズである。

人は皆、人生の分岐点で様々な選択をしながら生きている。そして、その選択の結果をもとに、自身のその後の人生が形づくられていく。しかし、人生というものはなかなか厄介で、どの選択肢が自分にとってベストなのかを事前に知る術はなく、不確かな情報から推定するほかない。それゆえ、後から別の選択肢を選んでおけばよかった…と後悔することは往々にしてあり得る。また、それだけでなく、選択したからといってその道に進むことができる保証もない。例えば、イチローのようなプロ野球選手になることを選択しても、万人がイチローのような運動神経と精神力を持ちあわせているわけではなく、その道を歩むことはほとんどの場合現実的に不可能だといえる。

人生における選択の難しさは上述した通りだが、ならば我々人間は人生においてどのように選択し、生きていけばよいのだろうか。私は、冒頭で述べたワンフレーズにそのヒントが隠されていると思う。

例えば、2つの箱があるとする。一方には「自分が人生の中で最も欲しいもの」が入っていて、もう一方は「空っぽ」だとする。どっちがどっちか外からは判断できないが、どちらかを選ばなければならない。そして、選んだ結果、中身が「空っぽ」だった人がいるとする。その人は当たりを引けなかったため、当然落ち込んでしまう。その後、その人は当たりを引けなかった人生を歩んでいく。そこでただ落ち込むのではなく、「今思うと、あの時の自分の選択は正しかった。空っぽでよかったのだ。だからこそ、今歩んでいる自分の人生はきっと正しい。」、そう信じながら生きていくことが大事なのではないか。それが、「間違った旅路の果てに正しさを祈る」ことなのではないか。

若輩ながら、私にも「あの時こうしていれば…」、「あの時、自分が一番望んだ道に進むことができていれば…」、そういった後悔をした経験は一度や二度ではない。しかし、どれだけ後悔しても過去は取り戻せない。大事なのは、「今思えば、長い目で見れば、自分の選択は間違っていなかった」、そう信じて前向きに生き続けていくことだ。私はそれを、「ロストマン」という歌から教わった。

「幸せかどうかは、自分次第である。」、アリストテレスの名言だ。ある人が幸せかどうか、よい人生を歩んでいるかどうかは誰にも決めつけられない。その人自身が「自分は幸せだ、この人生は最高の人生だ」、そう断言すれば、誰もそれを否定できないのである。だからこそ、「他人の人生と比べて、自分の人生はどうか?」、そう考えるのではなく、自分の人生の「正しさを祈りながら」生きていきたい。