「何を見るかではない。何を知ろうとするかだ。」教育学部一年 山本耀介

私はしばしば目的地を定めず歩くことがある。休日や受業と授業の合間に、自分の周囲を散策しているのである。公園や路地を歩き、ただただ周囲を観察してまわる。特に意味があってやっているわけではなく、ただの習慣である。
 そんなことをしていると、色々な物を発見することになる。煉瓦造の立派な門をもつ公園や、1階の壁がシャッターだらけのマンション、民家の庭に突き刺さって立っている鉄道信号などなど。かなりどうでもいい発見ばかりである。
 さて、普段からこのようなどうでもいい発見をしている私であるが、この発見は案外興味深い話へとつながる。たとえば、先ほどの公園の門はかつて蚕糸試験場のものである。だからどうなんだという話であるが、この話についてうんちくを垂れていこう。蚕糸試験場は明治44年に現在の杉並区に設置された。建設当時、周囲はだだっ広い農地が広がっていたという。その後農地は住宅街へと変わり、この施設は昭和55年に筑波研究学園都市に移転された。筑波研究学園都市は、東京の周囲のニュータウン(ここでいうニュータウンとは皆さんにおなじみの郊外の団地群ではなく、大都市から独立した小都市のことである)として建設が試みられたものである。しかし、この筑波研究学園都市は、その意図に反してつくばエクスプレスの開通によって東京圏に飲み込まれてまった。このように東京の郊外は拡大する一方で、今度は先ほどのシャッターマンションの話が出てくる。これは戸山ハイツといって早稲田大学の近くにある。かつて旺盛な住宅需要を満たした戸山ハイツであるが、現在の住民6000人のうち、高齢者は3000人であるという。かつてマンション一階の店の多くが賑わっていたというが、いまやシャッター通りである。都心の中に今まさに限界集落が生まれようとしているのだろう。新宿区で過疎化が進んでいるのである。無論、過疎は都市部よりも地方において深刻だ。人口の都市部への集中により、ローカル路線は利用者減から危機に瀕している。第三セクターへの移管や廃線が進んできた。ここ15年で500?の路線が消滅したという。先ほど述べた民家の鉄道信号もそれに伴って売却や譲渡が行われた結果であろう。
 ながながと話してきたが、どうでもいい発見の裏には様々な問題が見え隠れしているかもしれない?あなたも是非、どうでもいい発見をしてみてはいかがだろうか。あ、あんなところに古い塀がある。あの塀はかつて目白文化村の・・・。