「早稲田浪漫譚――神田川と人生劇場――」 法学部三年 高野馨太

「早稲田に学んで波風受けて、行くぞ、男のこの花道を。人生劇場、いざ序幕」

この言葉は、早稲田大学第二校歌とも称される「人生劇場」に歌い継がれてきました。ああ、何度この言葉を復誦したことか。この一節は、おもえらく矜持と決意の表明なのでしょう。日本男児ならば、早稲田男児ならば、何をか為さん?
学生生活も半ばを越えて、長らく住み慣れた早稲田を離れていく私は、これまでの学生生活を総括し、今後の抱負を語りたい。以下は盛大な私の自己紹介ともなりましょう。しかし、この会にこのような人物がいる、ということを等身大で以て表現することはなかなか無益なことではありますまい。とはいえ、お目汚しを予めご容赦願いたく。

人生劇場の一節、「早稲田に学ぶ」とは、――何を学んだのか?「男の花道」とは、――どこへ向かうのか?私はそれを語りたいし、その中に読者諸兄の琴線に触れるものがあれば幸いに思います。

先ず、私の学生生活を表現するには、畢竟この歌、「神田川」が必要になる。私の感性的世界の表現としても、目を通して頂きたいと思います。


神田川」作詞:喜多條忠、作曲:南こうせつ
一、あなたはもう忘れたかしら
赤い手拭マフラーにして
二人で行った横町の風呂屋
一緒に出ようねって言ったのに
いつも私が待たされた
洗い髪が芯まで冷えて
小さな石鹸カタカタ鳴った
あなたは私の身体を抱いて
冷たいねって言ったのよ
若かったあの頃、何も怖くなかった
ただ、あなたの優しさが怖かった
二、あなたはもう捨てたのかしら
24色のクレパス買って
あなたが書いた私の似顔絵
上手く書いてねって言ったのに
いつもちっとも似てないの
窓の下には神田川
三畳一間の小さな下宿
あなたは私の指先見つめ
悲しいかいって言ったのよ
若かったあの頃、何も怖くなかった
ただ、あなたの優しさが怖かった

神田川は東京都、井の頭公園内の池を源流として、中野、早稲田、御茶ノ水を経て東京湾に注ぐ一級河川です。「神田川」の作詞者、喜多條忠氏は、当時早稲田大学の学生で、神田川にかかる面影橋周辺に居宅を構えていた経験があって、この詞を作ったとか。彼は当時、学生闘争に参加していて、その活動に疲れて帰ってくると当時の彼女がカレーやら何やらを用意して待っていてくれる。そういった安楽を希求する気持ちと、闘争という当為の狭間の苦衷が「ただ、あなたの優しさが怖かった」なのだと聞きました。

私は神田川の側に住みたかった、というのも、この「神田川」が大好きだったんですね。最初に住んでいた早稲田鶴巻町の家は、大隈タワーの裏手あたり。三畳一間では無いけれども、古びた木造の畳敷きで、風呂無しのボロアパート。一緒に住んでいた友人と毎日銭湯に通った思い出があります。あまり金も無く、少しだけバンカラも気取ってみて、なかなか「あのころ」に近いような気がする。言うなれば昭和ロマン。あのころの溜息まじりな歌声が、慎ましくて、悲しくて、無性に好きでした。そして、それを最も惹起させるのが、私にとっては「神田川」だったのですね。
あのころの貧しい感じ、私もそれなりに消費生活を送っていたとはいえ、週に3、4日もアルバイトを掛け持ち、家計は自転車操業。すくなくとも私の世界は「貧しさ」の中にあった。それは比較であるよりも認識です。貧しさと不安と、様々な混濁した気持ちが、私を神田川の世界、すなわち「昭和ロマン」に引きずり込んだ。この世界に寄り添ってみることが、一種の陶酔と鎮痛剤になったのですね。

だから、次は神田川に住みたかった。そこで、やっとこさ見つけた神田川沿いの一室は、本当に素晴らしい棲み家でした。最初は雨の音かと聞き間違ったほど、大きく、確かに、神田川のせせらぎが聞こえてくる。毎日、毎日「神田川」の音楽を聴きながら、私は優美な世界にどっぷりと浸かっていました。寂しがり屋なものだから、友人を呼んで騒いだことも多々あって、一方で一人物思いに耽ったことも、甘えたことも、沢山の出来事があの家で、神田川で、早稲田で、ありました。明るすぎずに、暗すぎず。金はないけど、贅沢な日々。いわゆる「学生」をするというのは、大変楽しい日々でした。おそらく、私の学生生活の様式は、「神田川」的、すなわち古風的(昭和的世情的?)。自分で言うのも恥ずかしいものではありますが、そうした生活を送ってきたと思っています。日本の学生の原体形を、あるいは日本人の原体形を、郷愁の向くままに模索した日々でありました。

なかなか思う通りに物事が運ばない時もありましたけれども、神田川を見て煙草を吹かす、そうして一切合切の思いを神田川に投げ込んでしまう。「神田川に万物が帰する」とはよく冗談任せに言っていたものではありますけれども、喜多條忠氏(神田川の作詞者)だって、数多いる早大生と諸先輩方だって、いろいろな思いを投げ込んできた。神田川の泡沫には様々な意味がある。意味が詰まって、悲しさの色が濃い。神田川の肢体には胸を揺り動かす情緒がある。

世人に、隣人に、悲しい顔を見せるのは公害そのものであると思っておりますから、悲しい時は、ちょっとニヒルに気取ってみて、神田川に煙草の煙と一緒に感傷を流します。悲しさの中で希望を抱く表現は、前を向く取っ掛かりになるものは、やはり冒頭の「人生劇場」でありました。

神田川」が柔和なロマンチズムないしナルシズムであるならば、「人生劇場」の発破は、――人生劇場は、かくも美しい一幕が演じられるということを謳っている。すなわち、かくも美しい人生を歩み進まねばならぬ、という激励なのでしょう。――武骨なエールです。私の精神は甘えで腐っているわけではない。我々学生は、私は、未来へ、社会へ進まねばならないのだから。

私は「人生劇場」をいかに理解しているか。人生劇場、という表現には、まるで方向性が定められていません。「役者」たる器は、どこの方面にだってゴロゴロいるでしょう。井上靖の「あすなろ物語」という著作は大変私の愛好する一冊でありますが、その中には「金貸しだって、なんだっていい。その道でひとかどの人物になれば」といったようなことが書いてあります。そして、「檜(ひとかどの人物)になろうとするあすなろう(檜になろうとしている人物)」を描写していますが、正に「人生劇場」もそういうことではないだろうかと思います。つまり、何らかの道で努力して努力して、一個の立派な檜になるということ。その過程が、目標が「人生劇場」なのではないかと。青雲の志を立てて、励め。要約すればそういうことになりましょう。

だから、そういった「人生劇場」に魅かれる私も、当然のように「劇場たるに相応しい人生」を歩んでいかねばならない。いつまでも青臭く、若いままに自らの信じる理想へ突き進んでいかなければならない。理屈をこねくり回して自分を正当化するのは簡単です。だけれども、それが果たして正しいことだろうか。信念をねじ曲げてまで保身に走るのならば、きっとその人は人生劇場を降りたということでしょう。先日読んだ中島敦の「李陵」には「全躯保妻子の臣(みをまっとうしさいしたもつのしん)」という言葉がありました。それは、自らと妻子の保身を考えて、君子の過ちを正そうともしない変節漢への非難の言葉です。自分もこうなりたくはない。自分の信念を貫き通さないといけない。

私は雄弁会員です。社会に対し、当為を訴えている学生弁士です。となるならば、当然に将来も自分の理想たる社会の実現のために努めていきます。別段、学生の内だからといって詭弁を弄んでいるわけではない。私の理想の社会が何たるかは、レジュメ等が本HP内に上がっておりますから、ここでは書かずに置いておくとして、私は以上のような暮らしをして、今は次に進もうとしている。私はあすなろうだし、だから檜になってみせる覚悟で努めていく。そして、私の人生劇場は、なかなか波乱万丈な作品として仕上げてみせる所存であります。

以上を以て、私の盛大な自己紹介を終わらせて頂きます。以上は、全く以て私という一個の事案の詳述に過ぎませんけれども、それが一種の説得という形で共感して下さる方がいれば誠に幸いに思います。