「自律への一歩」政治経済学部一年高橋美有

近年、国民が政治に無関心であることが問題視されている。

テレビや新聞は、日々様々なトピックで溢れかえっている。忙しい日々の中で、私たちは自らに関係のあるトピックについて考慮するだけで精一杯である。また、例え政治的意見を持ったところで、その先に何が為せるのかも不透明である。選挙での私たちの一票が、実際に政治を左右する最後の一票ではあることはまずないし、政治家に公約を実現させる強制力もない。

しかし、そのような中で、ITを用いたコミュニケーションツールが人々の政治へ関心を引き出してもいる。FacebookなどのSNSを使えば、誰だっていつでもどこでも情報を発信することができる。発信を重ねることにより、世界の隅々にまで瞬く間に情報を拡散することができる。政府や放送業界などの権威を一切通さず、自らと同じ民衆がリアルタイムで発信する情報には、我々に対して肌感覚で訴えかけてくる何かがある。SNS等を通じて、私たちは、本来は関わるはずのなかった人々の境遇や感情にまで深く入りこむことができる。

また、ITは、同調者を求める少数者を巡り合わせることも可能にした。例えば、右寄りの思想を持つ人は、実際の社会では声高に自らの意見を述べることができない。しかし、インターネット上では堂々と意見を述べることができる。そして、自分と似た考えの人を探し出し繋がることができる。これによって、本来は個人の内に留まっていたかもしれない思想が、他人と共有され、世論として顕在化する機会を得た。

これらの流れは、好意的に見れば、多元化の進行に寄与していると言えるだろう。どのような極端な意見を持っていても、私たち同士相互に意見を交換し合い、集合し、意見表明をすることができる。民主主義の課題である能動的な人々による政治参加の実現に大きく貢献しているといもいえるだろう。

しかし、これは本当に民主的なのだろうか。

SNSによって喚起されるデモへの参加意欲は本当に、自発的といっていいものなのだろうか。SNSといったメディアが私たちの感情に訴えかけるその方法は、とても感情的でそして瞬間的である。社会の生の流動の様子が目に見えるようになったことは、社会の同調圧力に、そうとも気づかぬ内に服従してしまっているのではないだろうか。

また、ネットを通じて作り上げられた意見が、異なる意見との対立を経て、一つの合意に達することができるのだろうか。というのも、ネットを介した組織は綿密に組織化されたものではない。多分に異なった意見を持つ者同士を纏めているのは、漠然とした一つの主張である。そのため、組織の基盤とも言える主張を譲ることはできない。相互理解を伴わない一方的な主張の先にあるのは、政府による調整だけではないだろうか。


今年は丸山眞男生誕100周年を迎える。
丸山眞男によれば、民主主義というものは決して完成することはなく、国民は日々、意見を深め永久革命を進めていかなければならないのだそうだ。

民主主義を真に進めるのは、このような集団による一方的な主張ではなく、全く異なる意見を持つ人とも分かりあおうとする営みの積み重ねだろうと思う。
自らの意見を確立するだけでなく、自らとは全く異なる意見を持つ人々の声に耳を傾け、さらに一歩、彼らの言い分を理解しようと努めることが、民主主義の完成に近づく一歩となるのではないだろうか。