「共に生きるということ」 商学部1年 清水寛之

 このコラムをお読みいただいている読者の皆さんは、今までの人生において一度でもペットを飼育したことがあるであろうか。
 おそらく多くの人にとって、その答えはYESであろう。
 私自身はといえば、幼稚園に通っていた頃、実家で飼われていた1匹の犬の散歩によくついていっていた記憶がある。
 ペットを飼育する人間にとって、愛するペットと共に過ごす時間というものは至福でかけがえの無いものだ。
 一方で、生活のすべてを人間に依存せざるを得ないペットにとっても飼い主というものは無くてはならない存在であるといえる。
 しかしながら、我々はペットを飼う責任に対し、じゅうぶんに自覚的であるといえるであろうか。
 昨年度、保健所や動物愛護施設で殺処分された犬と猫の数は16万頭にものぼった。1999年度以降実施されている環境省の調査では殺処分数は減少傾向にあるものの、依然として一日平均で400頭以上の犬や猫が望まない死を遂げている状況である。
 平成24年度に施設に持ち込まれた犬約7万匹のうち、飼い主が直接持ち込んだものは約25パーセントにあたる約1万7千匹であった。この年には約4万匹の犬が殺処分されているので、単純計算で1万匹近くもの犬が飼い主の意思によって殺されていることになる。
 飼い主からの直接的な持ち込み以外にも、飼い主による飼育の放棄が原因となった持ち込みが存在すると考えられるので、実態数は更に多いと考えるのが当然だ。
 保健所や動物愛護施設に持ち込まれた犬や猫は、数日間の引き取り手の募集期間を与えられるものの、その間に引き取り手が見つからなかった場合には、多くの場合、二酸化炭素を用いた窒息死という方法で殺処分が行われることになる。
 さて、日本の現状からは考えられないが、世界には放棄された動物を処分するのではなく、更生させようとする国がある。
 ドイツである。
 ドイツでは、なんらかの原因によって飼育を放棄された犬や猫などの動物はティアハイムと呼ばれる保護施設に収容される。
広々とした清潔なガラス張りの個室に暮らす動物たちは、従業員やボランティアによってそれぞれの個体にあわせた丁寧な飼育が行われる。そこには殺処分をする場所などない。むしろ存在するのは動物のための病院や検疫室だ。それどころか心身の治療やしつけが必要な犬のためのリハビリセンターまであるという。そこで暮らしている動物たちは、ペットとして飼うことができると判断された状態になってから、厳しい条件をクリアした引き取り希望者のもとへ引き取られていく。
 ティアハイムについて数行にわたり述べてきたが、これは公営で行われている事業ではない。すべて市民や企業からの寄付やボランティアにより支えられている民間事業である。
 今や人間の生活に深くとけ込み、社会の一員となったペット。
 ドイツの例は、ペットを社会の一員として守るという意識の現れともいえるのではないだろうか。
 今や社会の一員となったペットという存在に対し、いかに人間がペットを尊重することができるかが問われていると思う。