『記憶の風化 ―被爆3世として』 国際教養学部1年 鶴田絢女

東京に住む学生の何%が原爆投下の正確な日時を答えられるでしょうか。

今年の8月6日で広島は被爆67年を迎えました。広島県民にとって、8月6日午前8時15分は特別な意味を持った時です。広島の友人達は前日からTwitterFacebookなどでこの瞬間を忘れてはならないとつぶやきます。民放はどのチャンネルをつけても平和記念式典の中継です。そして8時15分を迎えると鐘の音と同時に黙祷を捧げます。しかし、そんな当たり前だと思っていた光景は実は広島特有のものだと気付きました。今年私は初めて広島以外の地でこの日を迎えました。毎年のように平和記念式典の中継を見ようと思うと、NHKしか中継していません。前日から家に泊まっていた友人達も黙祷をどのようにすればいいのか分からないと言っていました。確かにTwitterFacebookにつぶやくのもそのほとんどが広島県民だけで、私は大変な危機感を持ちました。

上京して以来、他県から上京してきた学生を含む東京の学生と広島長崎の学生の間には平和に対する大きな意識の差があると感じていました。それはおそらく平和教育の違いやそういった問題に触れる時間の違いに起因します。広島ではほとんどの学生が小学校、中学校、高校と平和教育を受けます。平和教育が盛んな学校では毎週、そうでない学校でも最低月に1、2回は平和教育の時間が設けられています。しかし、他県の学生に聞くと平和教育はあったと思うが覚えていないという人や歴史の教科書で勉強したくらいだという人が大半でした。これでは意識の差が生まれるのも仕方ありません。

また実は広島でさえ意識の変化が起きています。昨年行われた広島市教育委員会の調査によると、原爆投下の日時を正確に答えられたのは、小学生(4年生〜6年生)が約3割、中学生高校生で約6割という過去最低の結果でした。おそらく長崎の原爆投下日時も正確に答えられる学生はこれよりもかなり低い割合となるでしょう。さらに被爆者の平均年齢は約80歳と高齢化が進み、被爆体験の伝承も難しくなってきています。

私は被爆3世として、こうして記憶が風化していくのは仕方のないことだと諦めることが出来ません。チェルノブイリの記憶が風化したために福島の原発事故も起こったのではないでしょうか。日本は平和だと言われている時代だからこそ、客観的に世界全体の国際関係を見直すことも出来ます。ヒロシマナガサキだけの問題と思うのではなく、私達それぞれが平和に対する意識を強く持ち、日本全体に、そして世界全体にその記憶を伝えていくことが必要なのです。

最後にコラムの締めとして、広島の平和記念公園内にある原爆死没者慰霊碑に刻まれた誓いをもう一度ここに誓います。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」