『電子書籍は「平成の黒船」なのか?――音楽業界の革命は出版業界でも起きるか――』政治経済学部2年 伊藤宏晃

平成の黒船がやって来る――。キンドルアメリカで爆発的に普及した時、日本の出版業界は騒然となった。電子書籍の登場はiTunesにより席巻された音楽業界を想起させ、電子書籍による出版革命を予感させた。
アンビエント化」という言葉がある。アンビエントとは「環境」「周囲」といった意味であり、自分の周りに自然に存在しているということである。iTunesは楽曲のアンビエント化を達成した。それまでは店頭でCDを買ってからそれをMDに入れて音楽を楽しむという形だったのが、現在はiTunesの登場によりいつでもどこでも音楽を購入して楽しめる。これと同様のことが本でも起き、出版界に革命を起こすと考えられているのだ。電子書籍によりいつでもどこでも本を購入するようになれば本のフラット化が進む。そしてコンテンツのリパッケージやセルフプロデュースが重要視されることとなる――と。
ただここで一つ疑問が生じる。音楽業界で起きたことがはたして出版業界でも起きるのかということだ。はたして電子書籍は日本に出版革命を起こし書店を駆逐するのか。結論から言うと、私は起きないと思う。音楽と本とでは性質が決定的に違うからだ。以下その違いを三つ述べる。
一つ目は、コンテナの違いである。たとえば気になる楽曲をiPodに入れようと思った時、
CD→CDをiTunesへコピー→iPod
という流れになる。ところがiTunes Storeを利用すると
iTunes StoreiTunesiPod
となる。手間が格段に違う。
インターネットの普及によりコンテンツのマイクロコンテンツ化が進む中、コンテナとコンテンツを分離するために一度PCを通さなければならないCDが不利なのは明らかだ。CDプレーヤーでしか音楽を聴けなかった時代ならいざ知らず、猫も杓子もiPodやmp3プレーヤーの時代では、CDなど楽曲をPCに移動するまでの一時的な入れ物に過ぎない。言ってしまえばCDの持つ脆弱さがiTunesにより浮き彫りになったことがCDの敗因だ。
ところが本の場合これとは事情が違う。「紙の書籍」はそれ自体優秀なコンテナなのだ。「A」という本をコンテンツの例として先と同様に考えてみよう。
電子書籍→「A」
紙の書籍→「A」
ご覧の通り、どの媒体で読むかという違いしかないのだ。この点において電子書籍が紙の書籍に圧倒的に勝っているわけではない。むしろ視認性や扱いやすさで言ったら書籍の本が有利である。紙というコンテナが優秀であるという点で本とCDには決定的な差がある。
二つ目は使用者数の違いだ。あるサービスが普及するには超えなければならない溝がある。これはキャズムと呼ばれる。このキャズムを超えるだけの数の人が電子書籍を利用するだろうか。
風説と反して現代人の読書離れは進んでいない、とはよく主張されるところだ。確かに子供の図書館利用頻度は昔に比して上がっているなど、そうした主張を裏付けるデータは存在する。だがあくまでそれは相対的な話であり、日常的に音楽を聴く人に対して日常的に本を読む人は少ない。これもデータを見れば明らかだ。さらに外出時に音楽を聴こうとしたらmp3プレーヤーなどが必要になるが、本を読もうとする際に電子書籍は必要ない。紙の書籍ではなく電子書籍を利用しようと思う者の数はさらに限られる。そしてキャズム超えが果たされないとなれば電子書籍が流通するための基盤の整備は進まないだろう。
三つ目は価格の違いである。再販売価格維持制度というものがある。これは商品の生産者が卸・小売業者に価格を提示して遵守させるという内容で、再販制と通称される。日本では主に著作物や公正取引委員会に指定された商品に適用されている。音楽CDや書籍が小売店によって値段のばらつきがないことの背景にはこの法律があるのだ。こうして価格が守られている著作物だが、現状では電子上の著作物に同法は適用されていない。そのためCD、紙の書籍などとiTunes電子書籍でダウンロードするコンテンツとでは値段に差がある。そして日本においてこの差が音楽に比べて書籍は小さいのだ。たとえば音楽CDにおいて、シングルCDは1000円、アルバムは3000円程度が相場なのに対し、iTunesは一曲あたり150円〜200円程度と非常に安価になっている。しかし、書籍はそうではない。日本最大規模の電子書籍販売サイトである「eBookJapan」や「紀伊國屋書店BookWeb」などを見ればわかるように、電子書籍におけるコンテンツ価格と紙の書籍の価格はほとんど等しく、差が小さいのだ。こうなると価格面で積極的に電子書籍を選択する理由は小さい。
iTunesの登場は音楽業界を震撼させた。出版業界が電子書籍iTunesの影を見るのも無理はないだろう。しかし、現状で電子書籍が紙の書籍に取って代わり読書のスタンダードになるのは難しい。我々がiPod片手に電子書籍をめくるようになるのはまだまだ先のようだ。