『自明論』 政治経済学部1年 中村雄貴

電車の中には優先席というものがあります。私は最近、優先席で高齢者の方に席を譲らないで寝ているサラリーマンや若者をよく見ます。こういう光景を見て怒りを禁じえない人も多いのではないでしょうか。

もちろん、一般論としては私も同意見ですし、席も高齢者の方がいたら譲ります。
しかし、こういう優先席、それだけでなく電車の中での座席利用の在り方には違和感を禁じえません。
それはなぜか。

単純に、席を譲ることが損になるからです。
高齢者のことを労り、席を譲った人が立つという行為を強いられ、高齢者に気遣うことの全くない人々が座ったままで利得を確保する。
こういうあり方では、席を譲るという行為が普遍化されることはなく、永遠に高齢者は自らのハンディキャップにも関わらず立たされ続けるでしょう。
そして、高齢者のことを気遣った人だけが我慢を強いられ、道徳なき人はわれ関せずとばかりに優先席に座り続ける。

ここで思うのは、なんで行動した人が得をするように仕向けないのだろうということです。
結局、このように一部の人に我慢を押し付けるようなシステムが横行するようになるのでは、誰も幸せにはなりません。

そこで例えば、女性専用車両の仕組みを応用し、弱者専用車両に改組。乗車料を100円にして高齢者、女性についてはタダ、という特例を適用するなどが考えられます。
そうすれば、高齢者は自分たちだけそのハンディキャップに応じてゆったりとした空間に入ることができるわけです。

最早、多くの人に単一的な行動を押し付けることで制度を回すことは不可能です。昔は、高齢者に席を譲るという認識を多くの人が共有していたのかもしれません。
しかし、今は多くの人の行動の基盤となる常識はズタズタに分かれ、どんどん薄れているのではないでしょうか。
そこで必要になるのは、自然に行動してうまくいくような制度の構築だと、私は思います。