『海の鳥・空の魚』ファイナンス研究科1年 稲波紀明

『神はまた言われた。
「水は魚の群れで満ち、鳥は地の上、天の大空を飛べ」。
神はこれらを見て良しとし、また祝福して言われた。
「生めよ殖えよ。魚は海の水に満ちよ、また鳥は空に殖えよ。」

どんな人にも光を放つ一瞬がある。
その一瞬のためだけに、
そのあとの長い長い時間をただ過ごしていくこともできるような。

一瞬一瞬の堆積こそが人の一生なのだと言われれば、
それを否定することはできないけれど、
うず高く積まれてゆく時間のひとコマひとコマ、
その全てを最高のものに仕立てあげるのはとても難しいことだ。

難しいことだから、
「うまくいった一瞬」が大切なものになるのではないだろうか。

神様は海に魚を、空には鳥を、
それぞれそこにあるべきものとして創られたそうだが、
そのとき何かの手違いで、海に放り投げられた鳥、
空に飛びたたされた魚がいたかも知れない。

エラを持たぬ鳥も羽根を持たぬ魚も、
間違った場所で喘ぎながらも、
結構生きながらえていっただろう。
もっとも、そこにあるべくしてある連中に比べれば
何倍もやりにくかっただろうけれど。

そうして、「やりにくかった連中」にだって
「うまくいった一瞬」はあったはずだとわたしは思うのである。

―わたしは、思い通りにいかないことがあっても、
鼻の頭にシワを寄せてちょっと笑ってみせることで
済ませてしまう彼らのことが、大好きである。』



『海の鳥・空の魚』鷺沢 萠のあとがきの抜粋です。

10年以上前の私の大学時代に、私はこの一節に出会いました。
その頃の彼女の執筆活動は旺盛で、毎年2冊は出版している、
新進気鋭の作家でした。

そんな彼女は、2004年に自宅で自殺をされました。
その時の年齢が35歳。

私は今月で34歳になりましたが、こんな言葉をつくりだせる方が
一体何を考えて、自殺なんかされたのだろうかと思います。

私は間もなく宇宙に飛び立ちます。
彼女が無くなった年に、宇宙に行く事になるか、
何かのトラブルで私も天国に行くのか・・・。

ふと、この一節を思い出しましたので、紹介させて頂きます。