『嫌いな映画の話』文化構想学部1年 宮田竜太郎

私は映画鑑賞が好きである。今日まで、映画館で、ビデオで、DVDで、いろいろな映画を見てきたが、今回はそのなかでも最も嫌いな映画の1つである『ファニーゲーム(原題funny games)』という映画について述べたい。尚、これから述べる内容は、一個人の主観であるので、予めご了承をお願いしたい。

映画『ファニーゲーム』は、映画『ピアニスト』でカンヌ三冠を達成したミヒャエル・ハネケ監督の作品である。カンヌ映画祭では、そのあまりにも衝撃的な内容から、途中で席を立った批評家や観客が続出したと言われるほどであり、ロンドンではビデオの発禁運動まで巻き起こったという問題作である。

簡単なあらすじを紹介する。

穏やかなある夏の午後。バカンスを過ごしに湖のほとりの別荘へ向かうショーバー一家。
主人のゲオルグ、妻のアナ、そして息子のショルシと愛犬のロルフィー。
別荘に着き、台所で夕食の支度をするアナの元に、見知らぬ青年が訪れる。
ペーターと名乗るその青年は、卵を分けてくれないかと申し出る。
たわいもない会話の後、突然ペーターはアナに好戦的な態度をとり始めた。
そこへもうひとりの青年パウルが現れ、さらにアナを挑発。
オルグが仲裁に入るがパウルは逆にゴルフクラブでゲオルグの膝を打ち砕いた。
この時から、一家は青年ふたりの操る《ファニーゲーム》の不運な参加者となったのだった…。(以上、amazon.co.jpより)

以下、作品の内容に触れる部分もあるため、映画を純粋に楽しみたいという方は鑑賞後に読むことをおすすめする。なお、この映画は残虐なシーンが多いため(直接的な描写は少ないが)、そういった映画が苦手な方は観ないほうがよいと思われる。また、観たあとに疲労感でぐったりしてしまうほどの映画なので、家族や恋人、友人と一緒に見て、娯楽として楽しもうとすると痛い目に合うので要注意である。

この映画を見ている最中、そして観終わった後感じるのは、ずばり<不快感>である。ただただ消化できない<不快感>でお腹いっぱいになるのだ。ショッキングな残虐シーンの多い映画、バッドエンディングで終わる映画は数多くあるであろう。しかし、この映画ほど<不快感>に苛まれる映画はないであろう。それは吐き気を催すほどである。

では、なぜこの映画を見るとイライラするのだろうか。

第一に、映画特有の「お約束」が全く守られない。映画特有の「お約束」とは、例えば「正直者は、どんなことがあっても救われる」であったり、「セックスをする人間は、そのあとすぐに殺されてしまう」であったり「子供は殺されない」であったり「最後は主人公が助かる」といったようなことである。
そう、誰もが一度は見た事があるように、大抵の映画では、主人公が殺されそうになっても、直前でパトカーが駆けつけてくるのである。主人公には何故か敵の発砲する弾が当たらないのである。しかし、この映画は違う。それどころか、普段、主人公に味方するご都合主義的な要素が、徹底的に犯人側(敵側)に味方する。主人公が携帯電話をたまたま車に置き忘れ、外部に連絡できないであったり、犯人がいないすきに家から脱出し、道路を走る車に助けを求めたその車が、たまたま犯人の乗っている車であったり、挙げればキリがない。極めつけは、心理的にも、肉体的にも痛めつけられる一家が、犯人に反撃できる唯一にして最大のチャンス、そのチャンスすら非現実的な方法(どんな方法かは是非映画で見て欲しい。文字通り非現実的な方法である)で奪い、最後は主人公が助かるというような「お約束」を破る。そして、それを観る我々は、その不条理にイライラするのである(よく考えてみれば、我々が感じるこのイライラは、普通の映画では敵側が感じていることなのかもしれない)。
また、シナリオ上の「お約束」だけではなく、演出上の「お約束」までも破られる。映画の序盤で、意味ありげにクローズアップして映されるヨットの床に横たわるナイフ。映画を観るものは、「ああ、後でこのナイフはいかされるのだな」と予測する。そして、映画の終盤になると、ロープで縛られた妻のアナがそのナイフを発見し、犯人に見つからないようにそのナイフでロープを切り始める。しかし、すぐに犯人に見つかりナイフを取り上げられてしまう。ハネケ監督は、演出上の「お約束」なんてお構いなしなのである。

第二に、映画を観るものをあざ笑うかの演出が多い。映画の中で、犯人による妻のアナに対する強制ストリップのシーンや、息子ショルシの殺人シーンがあるのだが、カメラはそのシーンを直接映さず、不自然な場所を撮り続ける。その不自然さからは、さながら「おい、映画を見ているお前。強制ストリップシーン、殺人シーン見たいんだろ。でも見せねえよ。」というハネケ監督の声が聞こえてくる。他にも、犯人達が主人公家族を、心理的にも肉体的にも痛めつけている最中、犯人達は何度も、映画を観ている我々の方すなわちカメラのほうを向いて我々に話しかけてくる(この映画は、POV[主観映像:Point of view]映画ではもちろんない)。「お前も、この不条理なシチュエーションを共犯者として楽しんでいるんだろ。」と言わんばかりに。

以上、なぜこの映画を観るとイライラしてしまうのかについて述べた。では、ハネケ監督はこの映画で観る者に何を伝えたいのであろうか。
私は、ハネケ監督が「暴力とは不快なものである」ということを伝えたいのだと思う。そしてそれは、暴力をエンターテインメントとして消費するハリウッド的映画への激烈な皮肉だとも思われる。凄惨な(性)暴力描写や血しぶきが、扇情的に用いられる、しかし最後は映画的「お約束」が守られるハリウッド的映画。ハネケ監督は、そんなハリウッド的暴力映画に対して、「暴力には、「お約束」なんてない。」「暴力は、娯楽ではない。吐き気を催すほど不快なものなんだ。」と言っている気がしてならない。このことは、ハネケ自身が、映画『ファニーゲーム』の11年後に、ストーリーは全く一緒のアメリカ映画『ファニーゲーム U.S.A』を撮ったことからも明らかなのではないであろうか。
 
ハネケ監督は、かつてインタビューでこう答えている。「なぜ人々がこの映画に憤慨するかははっきりしている。私は憤慨させるために作ったからだ。暴力は撲滅できないものであり、痛みと他人への冒涜であることを伝えたい。だから、暴力を単なる見世物ではなく、観終わった後に暴力の意味を再確認するものとして描かなければならない。」

以上、私の最も嫌いな映画の1つである『ファニーゲーム』という映画について述べた。嫌いではあるが、良く出来た映画であるとも思う。このコラムを読んで、鑑賞したくなるかどうか疑問ではあるが、興味のある方は是非一度鑑賞することをおすすめしたい。
くれぐれも体調を万全にして臨むように・・・・・・。