安心と希望vol.2

商学部2年 花房勇輝
まずは、生活保護の制度について概要を見ていきたい。
生活保護はその内容によって8つの扶助に分けられている。1生活扶助、2教育扶助、3住宅扶助、4医療扶助、5介護扶助、6出産扶助、7生業扶助、8葬儀扶助、である。このうち通常の最低生活費の計算に使われるのは生活扶助、教育扶助、住宅扶助である。生活費、教育費、家賃がそれぞれに該当する。
ちなみに仕事に就くための研修費用は、失業扶助として支給が認められている。しかし支給が認められるのは、「技能取得により自立が見込める世帯」に限られている。

生活保護では健康で文化的な最低限度の生活を保障する。この保障の程度を月額あたりで定めたのが最低生活費である。最低生活費は同時に生活保護が利用できるかどうかの基準にもなっている。金額は世帯ごとに異なっている。生活保護のしくみは実際にはシンプルなものである。最低生活費よりも収入が上回る場合には利用できない。
では例えば、13万円の最低生活費に対して国民年金しか収入がないときはどうだろうか。国民年金は満額で6万5000円ぐらいだ。この場合、生活保護を利用すると、最低生活費との差額である6万5000円が保護費として支給される。このように「足りない部分を保障する」というのが生活保護の基本的なしくみである。

しかし、実際に生活保護を利用するには収入が最低生活費を下回るだけでなく、いくつかの要件が必要となる。これを「補足性の原理」と呼んでいる。生活保護法第四条には、「保護は生活が困窮するものがその利用しうる資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる」と定められている。
補足性の原理は大きく分けて4つの点からチェックされる。第一に稼働能力、つまり働くことができるかどうかだ。窓口では健康であれば、まず働いて生活をしていくよう助言される。第二に資産の活用ができているかどうか。預貯金は月額の生活費の半額までは保有が認められている。それ以上の預貯金があれば、まずそれを生活費に充てる必要がある。生命保険があれば、原則として解約、株券や証券、高額なブランド品の保有も認められない。持ち家はよほど大きなものでなければ保有が認められるが、条件がある。自家用車の保有は原則認められない。第三は他法他制度の活用がなされているかどうか。雇用保険の失業給付や労働者災害補填保険(労災)、年金などの社会保障、母子家庭であれば児童扶養手当や児童手当などが確認される。他法の給付を受けた上で、それでも生活が成り立たないようなら生活保護が利用できるということだ。
最後は扶養制度の履行がなされているかどうか。親族のなかに援助できる人がいれば、その援助が優先する。金銭的な援助を受けられる親族がいるのに、その人には頭を下げたくないので援助は受けない、だけど生活保護は利用したいというのは認められない。
ただ、これでは虐待やDVなどの問題がある場合には十分には対応できない(実際に、DVをする夫から逃げ続けている女性に対して、「生活保護を受けるなら夫から『金銭的な援助は出来ない』という文書をもらって来い、と指導する福祉事務所の職員もいる)のだ。


この中で問題なのが、端的に言えば生活保護が「入りにくく、出にくい」制度になっているということだ。
「入りにくい」というのは先ほどからの若者の例に見られるように、受給に向けた基準が厳しいということだ。
例えば、教育扶助が義務教育期間中しか支給されないのは高等教育への進学率が大多数を占めている現状において適切とはいえない。たとえ母子福祉資金や生活福祉資金の修学資金の貸付を受けても、家計の圧迫を強いることになる。そのため子供のアルバイトにもつながり、その収入をめぐって、福祉事務所が各種控除の十分な説明を怠ると、家庭内にトラブルが発生し、最悪の場合には高校を中退する事態ともなりかねない。世帯の自立を助長するには、高校修学のための費用については、学資保険等を奨励し前もって支度させておく必要がある。高校進学・修学のための保証を教育扶助として制度化すべきである。
さらに、扶養については、これまで民法に基づき、親子のみならず兄弟姉妹まで扶養義務を求めてきたが、これは現代の家族状況に適合したものではなく、著しく実態と乖離している。申請時の福祉事務所からの扶養照会が要保護者にスティグマ意識を抱かせたり、あるいは申請を思いとどませたりすることは周知のことである。この扶養義務についてもイギリスのように、夫婦相互および親の19歳未満の子供という範囲に限定すべきであろう。
他法の活用ということでは、国民健康保険と医療扶助の関係がある。これは介護保険と介護扶助の関係と同様の形式に整理すべきであろう。すなわち、国民健康保険証は生活保護が適用になっても、活用できるようにすべきである。そして国民健康保険料は生活扶助に含めて算定すべきである。そうすることにより、被保護者は医療機関受診の際にもスティグマを覚えることがなくなる。スティグマという意味では医療扶助による受診がきわめて大きな心理的障壁となっていることは、これも周知のことである。

これに対して「出にくい」というのが、今の生活保護制度が、「自立支援」よりも「最低生活の保障」に偏っているということである。実際に、生活保護法の第一条には次のように記されている。
第一条 この法律は、日本国憲法第二十五条に規定する理念に基づき、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。
このように生活保護の使命は生活を保護することだけではない。自立を助長する、すなわち生活に困った人が立ち直り、再び自分の手で未来を切り開く支援をしていくこと、それが生活保護の使命であり、私たちの目標とすべきものだ。
また、生活保障ではなく、自立支援を生活保護の核となる使命と考えるのであれば、「生活に行き詰っている人たちの生活をどう再建し、社会のなかで幸せに生活できるようにしていくか」が議論の焦点になる。つまり「どのような人たちを救うべきなのか」ということを問うことも意味をもたなくなる。たとえば「できちゃった結婚で子供を出産した未婚の母を生活保護で救うべきか否か」という議論自体がナンセンスになるのだ。
さらに、社会福祉法の基本理念では、自立支援とは「利用者が心身ともに健やかに育成され、又はその有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるように支援するもの」と定義されている。そのなかには、経済的自立だけではなく、高齢者や障害者などが日常生活を自分の力で送ることができるようにするための支援(日常生活自立支援)や、社会のなかで自分の役割をきちんと果たしていくための支援(社会生活自立支援)も含まれる。だから、例えばパチンコばかりして子供を顧みない母親も、その生活を立て直すという意味では充分に支援の対象になりえるし、そうなるべきなのだ。


また、制度自体のみならず、生活保護の受給を実際に決める福祉事務所自体にも問題はある。

社会福祉法ではこの仕事をする人すなわちケースワーカーは「社会福祉主事」でなければならないことになっている。一方で、現場のワーカーの有資格率が7割前後でしかない。この「資格」についてもう少し検討してみると、そのほとんどがいわゆる三科目主事である。「三科目主事」とは大学で所定の科目を三科目以上(経済学、法学など)履修している人をさす。一般の大学を卒業していれば、すなわち福祉系の学校で福祉の専門的な教育を受けていなくても、資格をもっていることになる。そもそもこの制度は今のように福祉系の学校がなかった50年前に、暫定的に認められたものだといわれている。
さらに、ほとんどの自治体の福祉事務所では本人の希望を聞くことなく社会福祉の専門的知識のない一般行政職を辞令書一枚で配置しているのが実情である。したがって、社会福祉の援助方法論など無縁に近く、自立援助の具体的なプログラムもなければ目先の処遇方針すら立てることが困難になってきている。さらにこのような現状では、福祉事務所に異動になったことがきっかけで、資格取得に励んでも、数年後には別の部署に異動になる、というケースも多い。
さらに、ケースワーカー1人の担当ケース(世帯)数は、80ケースを標準数にしているが、実際には都市部において100ケース近く担当している過酷な実態があり、法の目的である自立助長に対する処遇に遠く及ばない。厳しいミーンズテストによってかろうじて保護された極めて稼動困難なケースばかりに近い日本の生活保護世帯に対してもそれでも自立助長の指導を行うなどそれこそ困難である。
この問題を解決するには、生活保護に関わるのに必要な知識を確認するための資格制度を整備し、その上で福祉事務所で働くのにその資格取得(その途中も含む)を条件とする、いわば専門職化を図る必要がある。

さらに、福祉事務所自体についても、生活保護利用者の自立支援を強力に支援するため、ハローワークや関連団体とのさらなる連携や、広域レベルでの統合も必要になる。
貧困問題は金銭的な援助だけで解決するものではない。利用者が経済的にも自立していくためには、就労支援だけではなく、ドメスティックバイオレンス(DV)や虐待などの家族関係の調整や多重債務の解決、住む場所の確保、ヘルパーによる日常生活の支援など、多くの関係者がそれぞれの持つ強みを活かして支援に参加していくしくみづくりが必要だからだ。

以上の分析のもとで、次に政策について見ていく。