「A Vague Reality」

法学部2年 加藤洋平

私は中学校卒業後から4年間カリフォルニアで生活していた経験があり、母親と妹もまだ向こうに住んでいるため、しばしば帰米する機会に恵まれる。つい数週間前も家の引っ越しを手伝うために帰っていた。本コラムはその期間中に私に起こったある出来事についてであり、偏見が混じっているかもしれないが、読んで頂ければと思う。

 家から車を飛ばし10分程度、私が疲れた時によく行くレドンドビーチというビーチがある。その日もそこへ向かった。夕方、日差しも少し弱まり、心地よい潮風が私の少し大きめのシャツの中を吹き抜ける。そこではジョギングをする人、犬の散歩をする人、読書をする人、いちゃつくカップル・・・それぞれ思い思いの時間を過ごす。私はというといつものように砂浜に腰を下ろし、日が沈み行く西の地平線からこちらに向かって海の上一直線に横たわる光の柱を眺めていた。

 私の横にもう一人同じ景色を眺めているラテン系の男性がいる。汚れたスニーカー、裾が破れているズボンとシミまみれのシャツを着た彼はどうやらビーチ沿いのレストランのキッチンで働いているようだ。年は30代半ばと言ったところだろう。私は声を掛けることにした。

「いつもここに来るの?」

「ああ、仕事帰りにね。休憩時間にもよく来るよ。でもやっぱりこの夕日が1番だな。」

と言いながら彼は煙草を加え左ポケットから徐に取り出したライターで火を点けた。私も一本勧められたが断った。

そこから彼と数十分話し込んだ。名前はヘクター。彼の家族は彼と奥さん、子どもが3人(女の子2人、男の子1人)いて18歳の弟も一緒に住んでいたが今彼は拘置所にいるそうだ。彼は弟がいなくなって働き手が減って家族を養うのが大変だ、とか仕事がハードだ、だとか色々ストレスが溜まっているようだった。

そしてヘクターのストレスの矛先は私(達)に向いた。

「まぁ、アジア人は金持ってるしな。おれ達の気持ちなんか分からねーよ。」

私は日本にも彼のような境遇にいる人が存在することを説明した上で、彼に少し思い切った質問をぶつけてみた。

「でも金持ってても幸せだとは限らないよ。お前が言う“アジア人”の幸せはお前の幸せより大きいの?」

そしてヘクターは眉間にしわをよせ少し考える素振りを見せ、

「いいや、おれも幸せだよ。家族もいるし友達もいるし。もしかしたらお前達より幸せかもしれねーな。」

もちろん彼のように幸せを感じることのできない人もいるし、友達や家族でさえ信頼できない人もいるし、その事を問題ではないと言っているわけではない。しかし経済的に生活が苦しいからと言って必ずしもそれが不幸に直結するわけではない。彼がそれを証明してくれたような気がした。そして何より同じ美しい景色を見ながら境遇が異なる彼と話すことができて嬉しくて仕方がなかった。

しばらく海を見つめてヘクターは少し笑みを浮かべ右手を差し出した。

「もうそろそろ行かねーと。会えて良かったよ。」

データは私達に数字しか見せてくれない。無論、その数字も現実を表している。それにこの世の中にいる全ての人を見ることは不可能であり、親友、家族でさえ完璧に理解することは不可能である。しかし、それでも私達は人を見続けて、理解しようとし続けなければならないのだろうと再認識させてくれる出来事だった。