「透明な、あまりにも透明な死」

政治経済学部2年 柴田秀並

ここ2、3年前から高齢者の孤独死に関するニュースを頻繁に耳にするようになりました。つい最近も沖縄市の80歳の1人暮らしの男性が孤独死として報道されたのは記憶に新しいかと思います。

孤独死」という言葉が使われ始めたのは20年以上も前からですが、高齢化や地方の過疎化などが進んだ現在とくに顕在化してきているのです。

それでは孤独死とは何でしょうか。孤独死とは、一般的には一人暮らしの人が誰にも看取られずに、自宅で生活中に突発的な疾病や餓死等によって死亡する事で、大抵は死後しばらく経ってから発見されます。なかには、死後1ヶ月以上も経ってはじめて遺体が発見されるという悲惨な例もあると言います。
このように社会的に孤立した状態で亡くなる孤独死はなぜ起きるのでしょうか。孤独死でほとんどの人に共通するのは、①高齢者(男性が多い)で、②一人暮らし、③親族が近くに住んでいない、④地域コミュニティーの希薄化などが挙げられます。
 
それまでずっと働きづめで地域との関わりを持たなかった人が、定年を迎え退職し、自宅に籠もることはよく言われることですが、その人が配偶者に先立たれると急速に孤立していってしまいます。このようなケースが最も孤独死の例として多いように思われます。  そしてこれは団塊の世代の人々が大量に退職期を迎えていること(2007年問題)を鑑みれば、今後さらに増大する可能性があります。
孤独死でさらに深刻なのは、老老介護(高齢者が高齢者を介護すること)において、社会的に孤立している場合です。介護者が突然死したときに介護されていたものは、餓死してしまうのです。
 
 OECDの2005年のデータによると日本は、調査対象国20カ国中、人々の社会的孤立が最も高い国でした。さらに明治学院大学の河合克義教授の調査によると、一人暮らしの高齢者のうち、四人に一人弱が「社会的孤立状態」にあるといいます。
 
現在、このように人々が社会的に孤立する事態を防ぐべく、都道府県や自治体、町内会、NPOなどによってさまざまな対策が講じられています。中には町内会で、独り暮らしの高齢者の世帯が一目で分かるように色付けした地図を作成した例などもあります。また新潟県では先日、希望する市町村と協力し、安否確認や住民の啓発に関するモデル事業を始めると発表しました。
 
いずれにせよ肝心なのは、その人が住んでいる場としての地域において人々が社会的ネットワークをいかに構築するかでしょう。顔の見える具体的な他者が、自分の存在を知り、気にかけ、応答してくれる相互の関係性を、アメリカの哲学者ネル・ノディンクスは「ケアリング」と名付けましたが、まさにそのような社会的ネットワークの構築を支援するような政策こそ求められるのではないでしょうか。

すべての人は生まれるとき決して1人ではありません。ならば死ぬときも誰かが必ずそばにいる。すべての人にこうあってほしいものです。