「よいではないか、お代官様。」 

法学部1年 小島和也
 
 先日、一連の裏金問題の決着として、私の地元である岐阜県では知事の辞職に続き副知事含め4人の退職、部長級含む47人の人事異動という形でけじめをつけた。これら退職や前知事による「県退職者資金返還推進協議会」、「OB裏金返還」設立は住民の血税を組織ぐるみで隠していた責任として当然の結果であるが、近年財政難が地方自治体で起こっている中、そもそもこのような官僚による裏金が出来ないような自治組織にする必要がある。
今回、裏金が発見されたのは岐阜県民の血税から捻出され始め20年のことであり、その発見まで時間がかかっていることが伺える。今回裏金が発見されたのは新聞報道であり、地方財政の複雑性がチェック機関の目を眩ましていること、さらに情報公開制度に伴う「オンブズマン制度」が機能していないということが裏金作りの土台の一つになっていたことが分かった。つまり、地方分権・住民自治等が叫ばれているにもかかわらず未だ、人々の最小の政府とも言うことのできる自治体がお代官様の住む屋敷のように、敷居も高く、塀も高いのである。
三位一体の改革により2006年度から2008年度の間に地方財政が全国で3.7兆円削減されることとなっている。そしてその流れは一方で自治体の自主財源を高めることに寄与しているのである。自主財源が増せば、その自治体独自の産業政策、福仕政策、教育政策に柔軟に対処することが出来るようになる。このような財源移譲、地方分権の下、住民自治が徹底されれば、住民が求めるもの、住民では出来ないことを自治体が補い、自治体が補いきれないものは国が補うという、ボトムアップ型の「補完性の原則」に近づくのではないか。そしてこのような「補完性の原則」を徹底させ無駄のない財政支出を行うには住民自治が不可欠である。自治体の行う政策にシビアになることで自治体の支出から無駄をなくし、その上でパブリックマインドを汲み取った政策こそが「補完性の原則」に則った政策であるからである。
今回のように裏金問題を起こしているようでは、分権の流れも進んでは行くことはない。ますます自治体の信用が無くなってゆくだけである。そして分権を進め、住民たちが求める政策を行ってゆくには、財源の上に乗っかっているお代官様の甘い饅頭をなくしてゆく必要があるのではないだろうか。