「現代に生きるカウンターカルチャー」

法学部二年 杉田壮



先日、友人の家でネットを開いているときに、興味深いドキュメンタリー番組を見つけた。
その番組の内容を簡単に要約すると、世界最先端のIT技術を開発し続けているシリコンバレーの100年の歴史を検証するドキュメンタリーで、ITという舞台で革命を起こした挑戦者たちの軌跡を振り返るものであった。
人類の進歩には火の使用、車輪の発明、印刷機の開発など、数々の飛躍があったが、この半世紀の間に、シリコンバレーは中世ヨーロッパの技術ルネッサンスに似た発展を見せてきた。    
印刷機はコンピュータへ、遠近法による絵画はCGを用いたアニメーションへ、近代金融業は強力なベンチャー投資に支えられた共同体の創造へ、中世ルネッサンスはおよそ300年の歳月をかけて進展を見せたが、このシリコンバレーという想像力と独創性に満ちた大地を筆頭に、わずか100年足らずで人類は大きな発展を遂げてきた。
シリコンバレーの発展にはカウンターカルチャーサブカルチャー)の影響があった。カウンターカルチャーとは狭義ではヒッピーなどを指すが、この当時でいうと、黒人の公民権運動やヴェトナム反戦運動に代表される反体制の動き、つまりは反資本主義、市場主義などの思想をもった若者を中心とした文化である。シリコンバレーは、今でこそ未来を作る街として栄えているが、当時は、中心的な存在などなく、まとまりのない、散漫な、だけれども可能性に満ち溢れていて、何か新しいことが始まるのだという期待感は誰の目にも明らかというような独特な空気が街を支配していたという。既存の生き方や権力にとらわれない、個人の自由でクリエイティブなムーブメントがこの街の発展、ひいては世界の進展に寄与した功績は大きかった。(例えばこれまで国家規模で開発されていたコンピュータを初めてパーソナル化したアップルなど。アップルのロゴマークIBMとは対照的にカラフルでポップなのもカウンターカルチャーの影響が大きいことを物語っている。)

こうした最先端のライフスタイルと最先端の技術が交じり合った動きはすぐさま世界中に伝播していき、現代ではIT分野は一大事業として地位を確立しているし、ユース文化も極めて雑多な興隆を見せている。何か新しいものが交じり合いながら生まれては消え、大部分は淘汰され、ごく一部は社会のメインフレームにまで昇り詰めていく。
近年、日本でもこうした動きは顕著に見られるようになってきた。楽天ソフトバンク、またライブドアに見られる企業家、IT技術の勃興やオタク、NEET、フリーター、またひきこもりなど新たな若者の文化、ライフスタイルが注目されるようになってきた。
ここ最近では、安部新政権の発足により、若者の教育においては新自由主義的な再チャレンジ政策が叫ばれ、いわゆる能力主義的な、エリート養成には今後いっそう拍車がかかることは間違いないと思われる。こうした時代情勢の下、上述した若者のライフスタイルに対しての否定的な見方はより強くなる。
だが、60年代のカウンターカルチャーを発端とする若者の現在の文化、ライフスタイルは、ともすれば何か新しいものの勃興の兆しのように見えてくる。それはかつてのように既存の権力への反体制として生じ活動するというよりは、物理的空間を越えて、緩やかに結ばれつつある様々な文化などへの帰属を通して、ますます一層自由でクリエイティブな活動へと変化してきているのではないだろうか。
こうした動きは新たな一大ムーブメントを築き上げるのか、それとも社会から切り捨てられていくのか。未来は常に、現在にある。我々の知らない社会の地下水脈で続々と未来は生まれ、グロテスクに泣き声を上げているのが聞こえてはこないだろうか。