コラム バブルの再来か?

テレビを見る。新聞を見る。
耳に残る言葉は「景気回復」「景気回復」「景気回復」・・・。
専門家の話やここ数年のデータを見たりする限りでは日本はようやくバブル後の平成不況を脱却しつつあるそうだ。プチバブルという用語も生まれた。
①段階の世代が大量引退する2007年問題を控えて正社員雇用が急増し労働市場が売り手市場と化している点、②企業業績の好転とともに給与の増額が行われ、労働組合も本格的に賃上げ圧力を強めている点を見ても
企業のみならず家計にも利益の還元が本格化している点からしても景気は回復しているのだろう。


 そして現在、景気回復の象徴として扱われているのが証券市場の活況、詰まるところの株式市場である。日経平均株価はやっと10000円台を回復したと思いきや今や15000円を超える勢い。平均株価こそはバブル期の半分にも満たないが上場企業の時価総額出来高を見ればその活況ぶりは理解できる。

現在とバブル期との決定的差異は投資家である。これまでの企業による株式持合いが以前と比べ解消されたこと、政府による投資優遇策、電子取引の普及もあってか、現在は個人投資家が急増している。デイトレードに代表される彼らの積極的な売買が株式市場の活況を支えているのはいうまでもない。「小遣い稼ぎのため」「家計のため」あるいは「売買事態が持つスリルのため」の「バスに乗り遅れるな」がまさに現状を適切に表した言葉ではなかろうか。

しかし、目の前のバスに我先にと飛び乗る前に考えていただきたい。たったここ数ヶ月で日本企業は1.5倍もよくなったのであろうか。たった数ヶ月間で日本経済は劇的に変化したといえるのであろうか。「今までの評価が実態以上に低かった」と言うことは簡単であるし、その命題が真か偽かは今後数年、あるいは十数年しなければわからないだろう。だがそれは反駁が容易に成り立つ事の裏返しでもある。つまり「今の評価が異常に高いのだ」という命題が真か偽かも数年後にならなければわからないのである。

歴史は繰り返す。南海泡沫事件に始まり、チューリップバブル、ブラックサーズデイ、ブラックマンデイ、そして平成バブルやITバブル。後世になっていわれる「バブル」崩壊とは常に人々の大半が予想しないときにやってきた。バブルに乗っているときには「これはバブルでない」と誰もが浮かれているのだ。急落してみて初めてわかる。そして後々から考えて見れば、「何でチューリップの球根一個が家何件分もの価値を持つのだろう」「昨日買った土地が明日には1.5倍で売れるなんておかしい」「東京と神奈川の合計がアメリカ全土に等しい価値を持つはずがない」と思うのだ。

しかしながら、株式というシステムが実態ではなく「期待値」を対象としているのは事実であり、それは投機が投機を呼ぶシステムに誰もが気づかぬ間に転換してしまうことも事実である。現在の市場はきわめて投機色が強いデイトレーダーをはじめとする個人投資家の比率が高くなっている事実があることを踏まえると、バブルと同じ条件下にあるとは言いがたいかも知れない。
日経連の奥田会長が今回のプチバブルに苦言を呈するという事態に至っても、市況は変わらない。金融危機の時来の、日本の悲観論は勢いを急激に弱めている。
下流社会論が流行する一方で、このプチバブル論。
何が変化しつつあるのだろうか?