コラム 安全神話崩壊

商学部2年 小松平信吾

マンションの耐震偽装問題。女子児童の相次ぐ殺害。
事件を見るに付け、社会不安が極致に達しているという感想をTV・新聞を見るに付け感じています。
考えてみるにこれらの事件は社会・個人において生じうる「リスク」というものに、どのように我々は対処すべきなのかという問題を一層のリアリティーを持って我々に突きつけているのではないでしょうか。


この「リスク」とどのように向き合っていくのかという問いは、件で述べたような社会問題に限られたことではないでしょう。広く捉えようとするならば、雇用の流動化に見られるような自らの人生を不安定化した社会のなかで如何に歩んでいくべきなのかという個人のライフスタイルにも関わる問題でしょう。

言わずもがな、高度に専門化した近代社会では、我々は「リスク」を把握することは不可能となっています。「他者への不安」と「他者への信頼」を車の両輪にして、我々の社会は存立していると言えましょう。
「他者への信頼」なしには、ご飯すら食べられず、電車にも乗れない。だが常にそれには「他者への不安」が伴うといった具合に、です。
こうした端的な事実に加えて、人間関係に見られるような社会の流動化・希薄化がなお進行する現在において、生じるべくして生じた問題が今回の一連の事件だと考えます。

こうした「リスク」を回避するためには論理的に二つの道があるのではないでしょうか。
「他者への不安」を解消する道。「他者への信頼」を強固にする道。この二つです。

前者的には犯人の究明としかるべき処罰による社会不安の沈静が急務とされましょう。

後者的には原因の究明と再発防止のプログラムを組むこととが課題となります。

今回のような問題が浮上した場合、当たり前ですが前者的な解決が先行します。
しかしながら我々の生きる社会は「他者への不安」を常に惹起し続けるが「他者への信頼」なしには成り立たない。
「他者への信頼」を確保するべくなされるべき政策は━犯人のつるし上げではなく━何であるのか。第二第三の被害者を出さないためにも、迂遠ではあるが必要不可欠なのだろうと考えている。