コラム 下流社会を問う                              

            政治経済学部1年 山田麻未
今書店で「下流社会 新たな階層集団の出現」という本が売れている。雑誌の見出しにも「下流社会」という見出しが多く見られるので、私はこの本を読んでみた。
このタイトルからして、近年広がる経済的格差について書いてあるのかと思って本を開いたら、「下流」とは単に所得の低いもののことではなく、コミュニケーションや消費、労働などの意欲が低いもののことだという。


最初に、12個の質問に答える「下流度」チェックなるものがあるのだが、私はどうやら下流らしい・・・。

質問項目の中には「自分らしく生きるのがよいと思う」というものがあり、私は「はい」と答えたのだが、同時に「いったいこれが『下流』とどうつながるのだろう」と甚だ疑問だった。本によると、自分らしさを志向する人ほど、未婚者、子どもの無い者、非正規雇用者が多いらしい。また、自分らしさを志向しているのに、思うように実現できていないと感じることが、生活満足度を低下させ、所得の低さは階層意識を低下させるらしい。

また、自分らしさを志向する女性は、親との同居が多く、夫婦と子どもの世帯は少ないことから、「結婚して子どもを作るという人生に自分らしさを感じられないのだとも言える」「晩婚化、少子化の原因が、この自分らしさ派にあるとも言えるほどである」「自分らしさにこだわりすぎて、他社とのコミュニケーションを避け、社会への適応を拒む子どもは、結果的には低い階層に属する可能性が高いのである」と言っている。

どこから「社会への適応を拒んでいる」状況だというのだろうか。学業を修めたら新卒で会社に入社し、働き続けることが「社会への適応」なのだろうか。
さらに疑問だったのは、選んだ人が「自分らしさ」「自己実現」をどういった意味で捉えて答えているのかも分からない。それは「ゆとりある生き方」かも「人の役に立つこと」かも知れないし、「実力を発揮して働く」ことかも知れない。

果たして、今ある社会のシステムに合わせて生きていくことが一番幸せなのだろうか?
結婚をし、子どもを持ち、朝から満員電車に乗って通勤し、サービス残業をし、出世を目指し・・・。

本にあるように、そういった保守的な家族のあり方をしている人の生活満足度が高いのは事実なのであろう。
しかし、問題とすべきなのは、「『個性を重視した家族』ほど『下』が多い」ことの方なのではないだろうか。なぜ、「上昇志向的、保守的な生き方のほうが生活を充足させる。そういった生き方を志向すべき」という方向になるのだろうか。

例えば、母親が「働きたい」と思ったとき、それと家事・育児を両立することが難しいなら、現行の働き方や保育システムの方を改善すべきだろう。シングルマザーがいた場合、その親子にとって離婚することの方が、辛い環境の中でも婚姻状態を継続していくことより幸せにつながるだろう。

私は家族のあり方として、近代家族のように、「父が働き、母が専業主婦」というあり方を否定はしないが、「近代家族であるべき」だとは思わない。家族は安心と安定をもたらす場であると考える為、そのあり方、役割や運営方法は構成員の合意の下で決められるべきであり、その結果近代家族の形でないならそれは好ましいことであると考える。
制度に合わせて生活していくことで、果たして幸せなのだろうか?父は過酷なフルタイム労働のせいで家庭と関わりたいと思ってもなかなか時間が取れなく、母は閉鎖的な環境の中での育児にストレスを感じている状況がある。そのことから、制度としての家族に固執する必要は無く、ポスト近代家族の形は近代家族をも包含する形で多様であるべきと考える。

モデル的な人生のあり方があり、それを目指すことが万人にとって幸せではない。様々な生き方があって、それをしても不利にならないような制度を作っていくことを志向していくべきではないだろうか。