トトロを求めて 小口 翼(人科1年)

 どうも朝から早稲田が煩いなと思ったら受験シーズンだったことを思い出した。今年も平均倍率が10倍強という恐ろしい数字の前に、「昨年引っ掛かって良かった」としみじみ思うのである。受験生諸君には精々頑張ってもらいたい。受かったら好きなもの食わせてやるよ。

 

さて。

 

 東京に出てきて一年が経とうとしている。雑踏の中に生きるとは和順に生きるよりも孤独なものだと思い知った。周りに人間が多ければ多いほど、人は孤独を感じやすくなる。しかし孤独の時間というのもまた価値ある時間なのかと思うようになってきた。

 

 周りから人間が消えることで本当の自分がわかるようになってくる。本当の生活リズムや本当に好きな食べ物、好きな色、匂いなど、自分とは一体どんな人間・動物なのかがわかる。

 

 その中でも特によく実感するのが自分の孤独への耐性である。どれくらい独りで生きて行けるのかが見えてくる。孤独の時間は価値があると述べた後にこの話は不相応かもしれないが、価値があっても長くは独りではいられないというのが人間の性なのだろうと思う。

 

 私の場合は5日くらいが限度なのだろう。5日を過ぎてくるとメンブレし始める。「自分は何の為に生きているんだ」という振り返ってみれば実にくだらない問いと格闘し始めるのだ。事実肯定や過去の美化が罪業妄想に追いつかなくなる。いわゆるメンヘラというやつか。

 

 私なりに生み出した解決策がある。それは旅だ。高田馬場から上野駅か東京駅に行き、特急列車の窓側の一番良い席に乗る。そして雑踏の街(孤独の街)から少しずつ離れて一面が田畑に覆われた美しい田舎町まで行く。適当に決めた駅で降りて、きれいな空気で肺を満たし、美味しいものをおなかいっぱい食べて、また特急列車に乗って帰る。

 

 車窓を眺めている間は、それを理解しているだけで良いから気が楽だ。また空気とはこんなにも美味しいものかと感動するようになった。太宰の真似をして伊豆へ行ったことがあったが、下田で食した胡麻を使った温泉饅頭は絶品だった。どこか香ばしい塩味の効いた生地と甘く濃厚なこしあんの品のある味わいは我が地元信州の酒饅頭を超えていた。また土浦駅の近くで入った老舗の唐揚げ定食は革命的な美味さだった。片栗粉でサクサクにあげられた鳥もも唐揚げはもちろんのこと、付け合わせのポテトサラダのポテ:マヨ比は間違いなく黄金比だったはずだ。佐野で立ち寄った酒屋の日本酒は……

 

 そんな旅の話をし始めるとキリが無いのだが、しかしなぜこんなにもメンヘラが多いのだろうか。高田馬場のロータリーでウェイウェイ騒ぐ連中だってどうせメンヘラだ。孤独への恐怖を隠して騒いでいる。毎日SNSで自分語りや自撮り写真を上げている連中も。自己肯定感、自尊感情というものが足りていないのか。

 

 独りでいる能力はどうやったら手に入るのか。個人主義という文化や制度は進んでいるのに、蓋を開けて見たら人間様は孤独が怖かったという笑えないオチは期待していない。

 

 そういえば自分の心に誰か何かを内在化している人は孤独に強い。ママ、パパ、神様、母国、恋人、嫁、旦那。「僕は独りでも大丈夫だ。ママは絶対に僕の味方だから。」そんな心理を本当に持っているだろうか。「ちょっと気をぬくとその人がいなくなってしまう気がして…」などというのは内在化されているとはいえない。

 

 こういうのを“The capacity to be alone”というそうな。ウィニコット(Winnicott-1971)の学説である。幼い時に誰か良い対象を自己に内在化することでこのcapacityが手に入る。Identity論で有名なエリクソン(Erikson-1994)も発達課題説のなかで同様の学説を展開している。高校の倫理・家庭科レベルでもここまで分析できる。受験勉強とはなかなか万能である。

 

 要は、子供と両親(特に母親)がきちんと「基本的信頼」を結べているかどうか、母親でなくとも何か「良い対象」を内在化できているかどうかが孤独への強さ、いや孤独の時間を肯定し続けられるかどうかを決めるらしい。

 

 ウィニコットの話を出したからには、移行対象説(transitional objects)も紹介しておかねばならない。井原成男という早稲田の発達心理学の教授が本を一冊使ってまで紹介している重要な考えだ(正直、児玉憲典が訳した物の方が詳しくて面白いが、ここは我が母校早稲田大学の顔を立てようではないか)。

 

 簡単にいえば、母親から独り立ちするに当たって「母親らしきもの」を母親の代わりに肌身離さず手にするようになる、ということだ。例えばふわふわなタオルや、モフモフなぬいぐるみなどが挙げられる。

 

 うむ、私のぬいぐるみ好きはこういうことなのか…などと思うこの頃。ここでフィクションの世界を引用してここまでの文章をまとめてみよう。

 

『小学生のサツキと幼児のメイは姉妹です。お母さんは遠く離れた病院に入院しています。お父さんは大学教授で夜まで帰ってきません。ある日、お母さんの体調が悪化したとの電報が届きました。普段はシャキッとしたお姉ちゃんサツキは、泣き出すメイと帰ってこない父親の前に泣き出します。どうしようもなく困って、孤独で、逃げ込んだのはトトロの胸でした。大きくて、ふわふわで、暖かいトトロのところへ逃げ込みました。トトロはサツキにとって、お母さんの代わり(移行対象)だったのです。(サツキは正に現代の若者。普段はシャキっとしているがいざ一人になるとメンブレする)』

 

『生まれてすぐに母親を亡くした源氏は、母親像を求めて多くの女性と関係を持ちます。夕顔とのくだりは明らかにエロスを超越していますが、そもそもこれはエロスではなく、母子の愛の代理※なのです。(源氏も今の男に通ずるものがある。妻は愛する対象なのか、母性の対象なのか。)』

※そもそも性欲の根源は母親にあるという考え(oedipus complex ,Freud)もあるのだが。

 

 

 この孤独にあふれた東京に、トトロはいるのだろうか。夕顔はいるのだろうか。

 

 

 そんなくだらないことを考えながらも、「メンがヘラってる暇はねえんだ」と頬をピシパシと叩いて顔を洗い、干しておいたパーカーを羽織って雄弁会に行く。

ゴジラが来たら  志田 陽一朗(政経1年)

 

シン・ゴジラ」のヒットからはや3年が経とうとしています。庵野監督はいつになったらエヴァの続編を作ってくれるのでしょうか。「Q」の時には、まさか第2回東京オリンピックの実現に先を越されそうになるとは予想すらできなかったのですが…。

 

閑話休題。「もしゴジラが日本に上陸したら…」という問いは、それこそ日本人なら一度は考えたことがあると言っても過言ではないほど使い古されたものでしょう。初代「シムシティ」でも、「ALWAYS 三丁目の夕日」でも、ゴジラはご丁寧に我々の街に現れますし、それこそ使徒が攻めてくるという「新世紀エヴァンゲリオン」の設定だって、繰り返し来襲するゴジラのイメージが背後にあると言えます。

 

ただ、その考え方や現実性といったものは、常に変革しています。「シン・ゴジラ」の樋口真嗣庵野秀明両名によって、メーザー殺獣光線車や機龍(メカゴジラ)無しでも(とりあえず)ゴジラを止められることは分かったわけですし、何ならX JAPAN「紅」を演奏しただけでも最近のゴジラは止まるらしいです。現実世界で言えば、石破茂氏が「シン・ゴジラ」を批判しながら現実的な考察を繰り広げたりしています。

 

その一方で、われわれ日本国民のゴジラに対する無力さは変わりません。どんなに科学が進歩し、対ゴジラ用の戦略が整えられたとしても、光線一発、踏みつけ一回で我々など消し飛んでしまいます。「ゴジラが来たら」という問題は、わんぱくな少年少女や軍事マニアにとっては「こうやって倒そう」という前向きな結論につながりがちですが、残りの多くの人にとっては「どうやって覚悟を決めようか」、「どうやって最期の時を迎えようか」という問いと同じものなのかもしれません。

 

ならば、「ゴジラが来たら」という問いに考えを巡らせることは、「1分後に隕石が落ちてくるとしたら」、「日本が沈没するとしたら」といったオカルト的終末思想と同じなのでしょうか。私は、それは違うと思います。

 

そう考える一番の理由は、ゴジラが「生き物」であるからです。我々の生命の終了を告げるのは、隕石でも核ミサイルでもなく、生き物の活動だからです。「シン・ゴジラ」では、自衛隊でも米軍でも止められないゴジラを前に、茫然とした登場人物が「まさに人知を超えた完全生物か…」とつぶやくシーンがありますが、やはり相手が生き物かそうでないか、というのは、かなり重要な要素であると言えます。

 

ゴジラが人間の街を蹂躙し、あっけなく何千、何万という数の人命を奪っていく。そうした場面に出くわした人が抱く感情は、怒りや悲しみというよりも、諦めや悔しさなのかもしれません。自分をはるかに凌駕する生き物が、今まさに自分を超えようとしている。手持ちの策ではどうしようもない。何をしても歯が立たない…。

 

歴史を振り返ってみれば、「もはや相手のなすがままにされるしかない」、「立ち向かうのを諦めるしかない」といった状況に立った人は数多くいます。ホモ・サピエンスに駆逐されるクロマニョン人や、アッティラ王の猛威にさらされた小さな村の人々、覚醒したブロリーを前にしたベジータ等々…。そうした時に彼らが抱くのは、やはり諦念であり、悔しさなのです。

 

この諦めや悔しさといったものは、大地震津波に対して抱くものとは異なります。そうした天変地異に敵うものは、基本的にはいないからです。いくらゴジラといえども、火砕流や隕石には勝てないでしょう(在来線にタックルされて転んでいるようでは)。「生き物」という同じ土俵に立って負ける、「敗北者」の烙印を押されるということになれば、また違った感情が沸きあがってくるのです。なぜなら、今までそこで王者面をしていたのは、他でもない本人なのですから。

 

日々技術が発展し、自分たちには何でもできると(意識していなくても)誰もが思う今日この頃です。そうした現代にあって、「ゴジラが来たら」と考えることは、いままで淘汰されてきた者たちに思いを馳せると共に、「上には上がいる」という、ともすれば忘れがちな、一方でこの世では至極当たり前のことを再認識するいい機会なのではないでしょうか。

雄弁会コラムサイトリニューアルのお知らせ

 ご無沙汰しております。

 

 長らく会員の渾身のコラムをまとめてきたこのサイトですが、この度の「はてなダイアリー」の「はてなブログ」への移行に伴い、サイトのデザインやタイトルを大幅に刷新いたしました。

 

 心気一転、精力的にコラムを投稿して参りますので、ご期待ください。

 

 なお、このリニューアルは「雄弁会Web充実計画」の一環です。公式サイトやTwitter等もがっつりとテコ入れして参りますので、お楽しみに。

 

(文責:志田 陽一朗)

"沖縄という土地で" 教育学部1年 中路将伍

私は今まで沖縄という土地を行ったことがありませんでした。それこそメディア通じてしか沖縄を知らなかったのです。私は今回の機会を活かし、生の現実を見たいと思い遊説に参加しました。
今回の遊説の主題は基地問題であります。私の住んでいる地域には基地はありません。せいぜい航空ショーなどのイベントで遊びに行った経験があるくらいです。そんな私にとって、基地はどこか非日常的なモノでありました。
那覇空港に着くと早速、自衛隊の基地がありました。車に乗って移動する際にも、日本国旗と米国国旗が並んでいるのが見えました。また、数日かけて米軍基地の嘉手納 普天間 辺野古と訪れてもみました。私は恥ずかしい話でありますが、それらの基地の違いを訪れるまでほとんど実情を理解していませんでした。
訪れて初めて分かることがあります。
実際に高台に登って双眼鏡で覗き、車で建設現場に訪れる。住宅の真ん中にポツンとある飛行場や 南国の自然の隣の人工物には違和感を覚えました。
けれども、嘉手納辺りを車の中からフェンス越しに見える基地の中には ボウリング場 教会 映画館 小中高校に 大学まで そこには一つの町がありました。先輩がボソッと言った「町の色が違う」との一言は、印象に残っております。基地の中にも生活がある。私の中の殺伐とした基地イメージが崩れ、何だかよく分からなくなってしまいました。
色んな人にも話を聞かせて頂きました OBの先輩方 記者 基地反対運動の方々 民泊のおばちゃんに 現地大学生。
様々な人の話を聞く中で感じたのは、彼(女)にとって基地は『生活・日常』のそのものであるという事です。そして一人一人そう言った問題に別々の感情を抱いているのです。同じ土地・現場・大学に通っていても、話を聞くと実は微妙にソレは異なっていたりします。改めてそれをまとめ、行動に移す「政治」というモノの難しさを感じました。
最終日に 雄弁会OBの國場幸之助先輩 のご配慮で街頭遊説をさせて頂きました。「雄弁」とはかけ離れた演説内容でお恥ずかしい限りです。「雄弁家」に1日でもはやく近づけるよう邁進していく所存です。
雄弁会に入って4ヶ月 自分に問うてきました。 『子どもと大人』の間の存在である 『学生』の役割とは何だろうか? 
『「学生」は 文字通り、学ばないと生きていけないんだよ』ある教師が戒めです。
『寝る間を惜しんで 学生の頃にもっと、「学ぶ」必要があった」
政治から文化まで様々な貴重な話を聞かせて頂いた 雄弁会OB屋良栄作先輩でさえもそう、おっしゃっていました。 
私は改めて思いました。
学生には『学ぶ』 そう、見る事 聞く事 感じる事 知る事 行動する事 それを求めるひたむきな姿勢が必要なのだと。学びの内容は何も一つに絞る必要はまだありません。学びのチャンスは様々な所にあります。
ですが雄弁会 一会員として私は政治問題・社会問題、ありとあらゆる事に思わず目を背けてしまうような現実にも「貪欲」に接していこうと思います。

最後に今回の遊説に援助して頂いたOBの先輩方 会の活動場所を提供して頂いてる早稲田大学 現地で取材に協力して頂いた皆様方 に感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

"戦いを終えて" 政治経済学部1年 村主太

1か月ほど前、私は東京都議会議員選挙の候補者を微力ながらお手伝いしてきた。前日の夜に「明日6時半に駅頭に」と言われ、遅れてはいけないと思い目覚ましを3個セット。朝、5時けたたましい音で目が覚める。眠い目を擦りながら隣の区の駅に到着。大声で候補者の名前を叫びながらビラ配り。2時間ほど配ったのち大学に行く。こんな生活を3日間ほど送た。たった3日間だけである。しかし、はっきり言って疲れた。こんな生活を毎日送っている議員秘書はなんて大変なのだろう。毎日、朝早く起き、自分以外の人のために身を粉にして働く。でも、社会の人からはあまり評価されない。なんという理不尽な仕事なのだろう。良い議員の秘書であればまだましかもしれない。変な議員の秘書であればもっと大変であろう。少しのミスで罵倒され、殴られる。とても理不尽だ。そんなニュースも最近ちらほら見聞きした。私は絶対、秘書にはならない。そんなことを感じた都議選の期間であった。

前置きはさておき、私が言いたいのは秘書さんの大変さではない。私が言いたいのはいかに若者が政治に興味を持っていないかということである。ビラ配りをしていて、若者の政治への無関心を肌で感じた。お年寄りの人たちは快くビラを受け取ってくれた。たとえ、受け取らなくとも彼らは目をあわせて一声かけてくれた。中年世代の人々もこちらのほうを見て、手を挙げてビラを受け取るのを断ってくれた。もちろん、受け取ってくれる人もたくさんいた。しかし、若者はどうであったか。彼らは耳にイヤホンをさし、手にはスマートフォン。声をかけてもこちらを見ることもない。こちらの存在に気がついているにもかかわらず、ガン無視である。いったい彼らはどのようにして投票先を選ぼうというのだろうか。もう特定の政党の支持を固めているのだろうか。それならばよい。しかし、もし投票先を決めていないのであればそれなりの行動があってよいような気がする。

断っておくが、私は別に若者にビラを受け取るべきだと言っているのではない。私だって自分の主義信条に合わない政党のビラは受け取らないであろう。私が若者に求めているのは何を配っているのかぐらいは見てほしいということである。どこの政党が配っているのか、どんなことを訴えているのか、そもそもこいつは誰なのか。そういうことに興味をもってほしいのである。目の前の小さな通信媒体のみを見つめ、いったい何が得られるというのだろうか。なぜ、気にかけてもらえないのであろうか。毎日とは言わないが選挙期間ぐらい、気にしてほしい。自分の投票先を選ぶ際に基準になるかもしれない情報を配っているのに、なぜ。

私はビラを配りながら、憤りを感じた。

まだ、このコラムを書いている時点では今回の都議選の年代別の投票率は公表されていないので本当に今回、若者が投票に行っていないのかはわからない。しかし、直近3回の東京都議選の20代の投票率を見てみると20%から30%の間で推移している。一方、60代以上になると直近3回の都議選投票率は55%から70%の間で推移していた。このことをふまえるとやはり若者は投票に行っていないのであろう。若者の政治への無関心の問題は確かに存在する。

ここで、私自身の話を少しさせてもらう。私は東京都民である。しかし、今回の都議選の投票には行けなかった。選挙権が与えられなかったからだ。私は19歳なので年齢的には問題はない。では、なぜ選挙に行けなかったのか。法律は選挙公示の前日を基準として3か月以上その地域に住んでいる人に選挙権が与えられると定めている。私はこの4月に東京に引っ越してきた。そのため、居住期間が足りなかったのだ。

しかし、もし、私が今回選挙権を与えられていたとして投票に行けたのであろうか。候補者を選ぶことができたのであろうか。私は今回の選挙では、投票する先を選ぶことができたという自信はない。もしかすると今回投票に行かなかった人の中には投票先を選べなかったが為に投票に行かなかった人もいるかもしれない。そのような人たちに提案したいことがある。投票したい人がいなかったらぜひ白票を投じに行ってほしい。誰にも投票する必要はないから、何も書かずに投票用紙を投票箱に入れてほしい。

白票を入れるなら投票に行かないのと同じことではないかと思われるかもしれないが全く違う。白票を入れるという行為が当選者に対する「あなたではダメです」というアピールになるのに対し、選挙に行かないことは当選者に対し何のメッセージも持たない。「あなたではダメです」という票が多ければ多いほど当選者は次の選挙を恐れる。良い候補がいれば白票を投じた人々はその候補に投票し、自分は落選するということを示唆しているからだ。当選者は次の選挙で自分が良い候補と思われるように必死になって働くであろう。

政治への無関心は時に腐敗した政治をもたらしてしまう。なぜなら、低い投票率は利益団体、圧力団体の票の価値を高め、結果として政治家は彼らの方を向き始めるからである。政治家は無関心の大衆はそっちのけで一部の団体の利益を追求し始める。それはすなわち私たち、大衆の利益が損なわれているということに他ならない。政治への無関心は私たち、大衆に害をもたらす可能性があるのである。

自分の住んでいる地域、そして日本の未来を作り、長期的に担っていくのは私たち若者である。だからこそ、我々自身が、未来の方向性を決めることができる選挙に行くべきではないだろうか。

若者のみなさん、投票に行こう。我々の未来は我々で決めよう。

投票したい候補がいなければ白票を投じよう。

皆さんの貴重な一票をぜひ無駄にはしないで欲しい。

"D&S" 社会科学部4年 王威

初めてテレビで見た弁論大会は私たちの学生弁論大会ではなく、外国人弁論大会でした。観客席がほぼ全部埋められて、審査員は7人もいて、地上波での放送も許された。学生弁論大会にはありえない人気ぶりでした、実にうらやまし。
二時間のテレビ番組で、19人の外国人弁士が出場した。私たちが普段やっている弁論大会とは違うもので、弁論時間が4分程度で、やじもなく、聴衆質問もなかった。テーマとしても、日本で住んでいる外国人の視点からみた日本の文化や生活に関しての体験談や考え方などが多く、そこで、政治性や学術性もなく、大学間の競争もない。穏やかな雰囲気の中で、「期待する」も「お疲れ」もなく、ひとりひとりの弁士が登壇して、弁論して、拍手に見守りながら降壇した。弁士たちがカタコトの日本語で、何度も噛みながらも、必死に自分の考え方を伝えようとした。
数人の弁論を聴き終えた後、思い浮かんだのは、もし、自分も留学生としてこの大会に出場したら、絶対優勝できるだろう。日本語力も発音も表現力も演練技法も、今までネイティブの弁士たちと共に競い合い、成長してきた私なら絶対勝てるはず。そう思っていた。
大会が中盤となると、弁論のパターンが見えるようになった。「日本語の人称が複雑で、ややこしい、でもそれも日本人の他人への思いやりの気持ちがあるからと悟り、人称の勉強も頑張ろうと思った。」、「日本で規則が多くで面倒くさい、でもそれも日本人の真面目な性格で、日本の素晴らしさでもある。」。彼らの弁論には「問題意識」と言うものが存在しない。仮に存在しでも、「それは実際問題ではない」と言う結論に至った。「日本人は西洋文化に媚び過ぎる」ことを問題視している、結局の結論は「包容力も日本素晴らしい文化の一部である」となった。19人の弁士の中、日本社会に問題意識を抱く人は一人もいなかった。
それはそうだろう、四五分の中、一つのまとめるのはネイティブにとっても相当難しい。そもそも、外国人から見た日本の問題など、日本社会においては期待されているものではない。期待されているのは、日本の素晴らし文化を必死に理解しようとして、日本社会に溶け込もうとする外国人たちの姿である。あのカタコトの日本語もこの大会で求められているものでした。このような外国人弁論大会に出たとしても、私は勝てないだろう。
余程の学者や社会活動家ではない限り、「日本社会のこういうところが問題である」、「こう解決すべきだ」、を言う外国人に対して、「貴方は日本実情をわかっているか」、「余計なお世話だ」、のような感情が沸くだろう。一方、「日本が素晴らしい」、「日本人が優しい」、のような言葉は、外国人が言う時が最も嬉しくて、且つ説得力があるだろう。弁論大会の観客たちも、テレビの前の視聴者も、このようなものを望んで、見ているの。単純な需要と供給である。
本来、外国人の視点から、自分の文化と社会を振り向くことこそがこのような大会の意味のではないか。しかし、その声が一斉の賛美になった時は、それは単なる観客を媚びる娯楽となる。媚びることを否定するつもりはない、業者は顧客に媚びる、政治家が有権者に媚びる、弁士が観客と審査員に媚びる。これも単純な需要と供給である。
少なくとも、外国人弁論大会は需要を満たす役割を果たした。では、観客が、社会が私達の弁論大会に何を求めているのだろう?学生としての視点か、若者としてのエネルギーか?わからない、求めているかもしれない、「未熟だ!若造の意見などいらない!」、と言う声もあるかもしれない。社会の需要は何か、私達が供給できるのは何か、わからない。
まだ、Steve Jobs曰くcustomers don't know what they want until we've shown them. 顧客たちは自分が何かを欲しかっているのが知らない、私達が示してあげるまで。

"都忘れ" 政治経済学部2年 早川和紀

葉桜の季節が終わった。揺れる川面を眺めていると、薫風が頬を撫でた——気がした。考えてみれば最近、雲の行く末を見ることもなくなってしまった。風の薫りを感じることもなくなってしまった。日々の忙しさの中で、何も見えなくなることがある。何かを置き忘れてきたような気分になることがある。それが何だったかなんて、今となっては分からない。何も残ってはいないけど、それが綺麗だったってことだけは分かる。そしてそれを探しに戻らない方がいいことも、いつの間にか知ってしまったような気がする。

考えても答えは出まい、そう思うことが増えた。かつて藤村操が死に際して書いた「巌頭之感」の中の、「眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、『不可解』。我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。」という一節が重くのしかかってくる。人生不可解なり。これが人生なのか。不可解ならば、考えることをやめてしまったらいい。生きていればいいんだ、生きてさえいれば…。
それでいいんだろうか。
そんなとき人には、何かを求める事しかできない。求めることでしか、明日を描くことはできない。
そうさ、人の道、それを求めるのさ。でもそんなものあるはずもない。何かを追い求めることは、何かを傷つけることだ。生きるための言葉はそれにすがるものを絞殺してゆく。永遠へといざなう言葉が聞こえる。

雄大な自然に抱かれて静かに眠りたかった。北に行けば何かがあるかもしれない。最後に人の情を求めて津軽へ行こうと思った。津軽行きの列車に乗ろう。汽笛の音を求めてホームへと向かった。でも、そんな列車は一本もない。分かってはいたけれど…。どこにも行き場はなかった。あの地にも寂漠の波が打ち寄せていることを僕は知っている。そして、何も変わりはしないということも。

もしかしたら単に自由というものに疲れただけなのかもしれない。
―連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する―
かつて谷川雁が記した言葉だ。そんな強さを、もたれあいの中で見出すには時代が変わりすぎていた。

電車は次々とやってきた。目の前はいつの間にか黒く染まり、押し流されるように階段を下りていた。

通りの家の庭先では、都忘れの花が咲いていた。身を乗り出すと、薄暗い側溝に自分が映っているのが見えた。その上に、花びらが舞い落ちた。
もう別れを告げよう。汚いことばかりさ。どんなに綺麗なことを追いかけても、何も見つかりはしまい。夢を、希望を信じることを辞めるさ。口を閉ざして生きる、名もなき人に、名もなき世界に。僕という名の嘘から、good-bye。

見上げれば雲が一筋。哀しいほど青い空だった。