「矛盾」 社会科学部三年 王威

私は「矛盾」という言葉が大好きだが、同時に大嫌いでもある。
その語源は『韓非子』の、「どんな盾も突き通す矛」と「どんな矛も防ぐ盾」を売っていた商人が、客から「その矛でその盾を突いたらどうなるのか」と問われ、返答できなかったという故事から来たもの。まさに矛盾である。
物事が複雑多様になるにつれ、そこには必ず矛盾が生じる。万物の長であるヒトもその例外ではなく矛盾の集合体である。ヒトの集合体である社会も矛盾だらけの存在であろう。そして、一つの小さな社会である雄弁会でも当然、矛盾を避けられないだろう。
弁論活動を見学しに行った時、アジテーションに感心していたら、途端に激しい野次が飛び交いはじめた。「礼儀を重視する日本人が、何故このような失礼なことをするのだろうか」と驚愕した。雄弁会で気づいた最初の矛盾であった。
雄弁会は百年以上の歴史を持っており、伝統を重んじている面がある。自分は留学生として、当然日本の文化と慣習を尊重するつもりであるが、自分の素直な性格と不勉強のせいで、度々失言や粗相をしてしまう。しかし、心優しい先輩方はいつも、『私にはいいんだけど、他の先輩たちには注意してね』と言ってくださった。私は先輩全員にそう言われた。『では、誰にも注意しなくでもいいのでは?』と困惑した。これもまた矛盾である。
公式行事を行う度、必ず礼儀作法に関するお知らせが来る。そこには先輩に対しての細かい言葉遣いや、座り方、乾杯のしかた、お酌する際のラベルの位置まで細かく記されていた。果たして、平等を重んじ、他人と違うことを恥として感じる日本人は、何故これほど上下関係を重視しているのだろうか、という疑問が浮かび上がた。矛盾である。
自分も当然それらのルールに従うつもりだが、先輩方はそれらに執着する様子がなく、むしろお酌して頂いたこともあった。さぞかし、先輩方もこのような厳しいルールに、面倒くささを感じていたのだろう。では、このような厳しいルールを守り続ける意味はどこにあるか。矛盾である。
社会変革者を志すならば、まず社会のルールを学ばなければならない。しかし、その変革したい現実社会のルールに、いつまでも従順な人が、果たして社会変革者になれるだろうか。矛盾である。
先日のコンパでは、一人の会員を多人数で囲み、その人をひたすら蹴る活動があった。意味がよくわからなかった。当然怪我人を出すほどのものではなく、蹴るというのも形式的なものだった、しかし、知性を根幹とする団体には少々暴力的だった。会員の中で、いじめや暴力を問題意識にする会員も少なくないにも関わらずその活動に、私も含めて参加した。矛盾である!
このような不条理について、同期に文句を言った事がある。そこで返ってきた答えは『伝統だから、仕方がないや』であった。そこから、一つの疑問が浮かび上がった、伝統を破壊しないで、社会変革が可能なのであろうか。矛盾である。
 弁論に矛盾は致命的である。弁論を作る作業とは、論理の中の矛盾を解消する作業でもある。しかしながら、弁論を作る雄弁会という組織には多くの矛盾が存在している。矛盾である。
 雄弁会員である私達も、矛盾に満ちた存在ばかりである。大阪人と言う誇りを持ちながら、東京都の住民票を手に入れ、都知事選挙に参加し、東京に魂を売った会員もいる。日本古来の伝統と文化を守りたいと称しながら、議論中に外来語を連発する会員もいる。資本主義を信じていると言いながら、共産主義にも賛同して、理念が混乱している会員もいる。矛盾である。
雄弁会員である私は「矛盾」と言う言葉が大好きだ。なぜなら、その複雑なロジックを吟味する事ができるからである。私は「矛盾」と言う言葉が大嫌いだ。なぜなら、矛盾が存在すると他人を説得することが困難になるからである。これもまた矛盾である。
 このような、矛盾に満ちた雄弁会も私は大好きである。だから居続けられる。このような雄弁会が大嫌いでもある。だから変革したくなる。
私達は社会変革を志す者である。それは、唯一不変な真理とは変化だからである。これもまた矛盾である。

「自炊のすゝめ」 社会科学部二年 宇治舞夏

 私たちが明るく希望を持って生きていくためには、自己肯定感を得ることが必要である。自己肯定感を得るためのプロセスとしては、他者から承認され自己を承認することで、自己肯定感を得る、というものがほとんどだろう。しかし私は、この一つ目のプロセスに疑問を覚える。何より、私はこの一つ目のプロセスをうまく行うことができないからである。きっとそういう人は私以外にも多くいると考える。
 なぜ、他者から承認されても自己を承認できないのだろうか。様々な原因が考えられるが、このコラムでは私の経験に基づいた個人的見解を述べさせて頂きたい。
 一番大きな原因として考えられるのは、他者から承認された自己の一部分に関して、自分自身が承認できないから、というものである。そのため、他者の承認を信用できないのである。「なんでこの人はそんな思ってもいないことを言うのだろう」と不信に思ってしまう。「可愛い」と言われれば「なんでそんな嘘をつくのだろうか」、「良い子だね」と言われれば「それって褒めるところ何もない人に使う常套句だよな……」とこういった具合である。自分でも損な性格だなとは感じている。しかし小さい頃からこういう性格であり、きっと私以外にも多くの人が同じことを考えたことがあると思う。
自己を肯定するためには、他者から承認される必要がある。ただし、その他人が承認した一部分に対して自分自身も承認している必要がある。それが私の見解である。

 そんな卑屈な私が最近自己肯定感を得られるようになった。そのきっかけが自炊である。上京してから一年半全く料理をしてこなかった私が、後期が始まってから自炊生活を始めた。「後期からは家事に対して意識を高く生きてみよう」という軽い気持ちで始め、自分自身でも三日坊主になるだろうと思っていた。しかし、いざ始めてみると節約になり健康にもよいなど、メリットがたくさんあった。そして最大のメリットとしては、自己肯定感を得られるようになったことである。自己肯定感を得られるようになり、毎日精神的にも健康に生活することができている。
 ではなぜ自己肯定感を得られるようになったのか。それは、自分の作った料理が美味しいからである。「そんな単純なことで!?」と思われるかもしれないが、これには他の承認とは重要な違いがある。自分が行った「料理」という行動に対して、「美味しい」と感じることにより、自分自身で自信を持てる。そして自己肯定感につながる。これが他とどう違うのか? 例えば、容姿や性格について他者から何か肯定的な意見を言われても、「本当にそう思っているのだろうか」と疑ってしまう。これに対して自分自身で肯定することは難しい。容姿や性格は、他者と関わる中で重要な要素になるからである。その判断基準は自分だけでなく他者のなかにもある。しかし、料理であれば自分自身の身で肯定することができる。自分が「美味しい」と感じれば「美味しい」のである。もちろん、料理を誰かに食べさせるのであれば話は別だが、自炊をして自分で食べるだけであるのでその判断は変わらない。疑いなく、自分の料理を承認できるのである。さらに加えれば、自分で作った料理を写真に撮りSNSにあげ、他者から肯定されることでさらに自己肯定感を得ることができる。「可愛い!」というコメントを信用することはできないが、「美味しそう!」というコメントは信用することができる。なぜならそれは本当に美味しいからである。私自身がそれを実感しているからである。
 まず自分が料理を食べ「美味しい」と感じる。自分の「料理」という行動に対して承認することができる。そしてそれをSNSにあげることで他者から「美味しそう!」という承認を得る。その承認を得た「料理」という行動に対しては自分も承認をしているため、その承認を素直に受け止めることができる。そして自己肯定感を得られる。

 しょうもないことを言っていると思われるかもしれない。しかし、これはここ数年自己肯定感を得られず思い悩んでいた私が得た一つの解決策なのである。私と同じように思い悩む人はきっといる。その人たちにこの方法を伝えたい。また、必ずしも料理でなければいけないというわけではない。ただ、自分で行い、自分で評価するという、なるべく自己完結できるようなものが良いと思う。この発見が、私と同じように思い悩む誰かを少しでも救う一助になれば嬉しい。
 長々と書いたが、実は自炊を始めてからまだ一週間しか経っていない。しかし、自炊によるメリットを本当に実感しているので、きちんと習慣化していきたいと思う。自己肯定感を得るための努力を続け、いつか他者が食べても本当に承認し喜んでくれるような料理を作れるように、そして末永く私を肯定してくれる他者に出会えるためにも、続けていきたいと思う。

「である。」 法学部一年 明神青葉

 「である」べきことを「する」ために

「せき・こえ・のどに浅田飴」でお馴染みの永六輔氏が先日、逝去された。作詞家・放送作家など幅広く活動した六輔氏が、ラジオを通して訴え続けたことがある。「米穀配給通帳」廃止と、「鯨尺」使用の許可だ。
米穀配給通帳とは、戦時中配給制度の下、米の配給を受けるために発行されていた通帳である。戦後経済復興とともに配給制度はなくなったわけで、この通帳も当然不要なものとなったのだが、関係法令が改正されず、毎年印刷されては使われないまま年度末に廃棄されていた。リスナーたちは米穀配給通帳をみたこともないし、存在すら知らなかった。しかし、彼の継続的な努力は1981年食糧管理法の改正に伴う発行廃止へと結実した。この通帳の件は、時代にそぐわないものを放置するものとして最たるものであっただろう。
鯨尺」とは、江戸時代から使われていた裁縫用の物差しであり、メートル法の規定で製造が禁止された。度量衡の統一は国家運営に不可欠なものの1つであるから、確かに当たり前のことのように思える。しかし、従来鯨尺を使用していた職人は、それまで培った職人技を奪われることになった。彼らは隠れて鯨尺の使用を続けていた。法整備の過程で現場の職人たちはないがしろにされていたのだ。これをきいた六輔氏は、訴えた。結果1977年、条件付きではあったが鯨尺の使用が認められた。この鯨尺使用禁止は、必要なものを視野狭窄から破壊するものの好例だ。
以上2つの事実はおそらく、何が不要で何が必要なのか、ひいては何が正しく何が正しくないのか、これを考えることを放棄した…思考停止の怠惰によるものである。こうして生まれた「不正」は社会を蝕み、機能不全に追い込んでいく。
怠惰を打ち砕かなければならない。しかしこの怠惰、強いものである。1人や2人の力では到底太刀打ちできない。だからより多くの味方を作ることが必要になる。しかしながら人というものは多少間違っていることであっても、自分に直接の利害がなければ、動くことのリスクを考慮し…ないし、ここにも存在する小さな怠惰によって、そう簡単には動かない。それでは、人を動かすものは何か。それは情熱だ。正義を主張する熱弁なのだ。人に伝えることで、正義は磨かれ、ひとりよがりから脱する。この正義が正義であるということが担保されるのだ。そして、より多くの人に正義が共有されたとき、大いなる怠惰に立ち向かうことができるのである。
 物事を正しからしめるためには、絶え間のない努力が必要である。なぜなら時と共に社会を初めとする組織は変わり、正しいものは変わる。それだけでなく、誰かの思い込みによって正しいものが権利を奪われることもある。必要なのは、正しさ…筋が通っているか、これを常にあらゆるものに問い続ける不断の努力と、不正を見たときにこれを訴える熱弁である。現場を歩き、ラジオに向かった六輔氏のように。

「我と汝」 法学部二年 野村宇宙

 去る2016年7月10日、第24回参議院議員選挙が行われた。今回の選挙では、18歳選挙権が認められて以来初の選挙となることや、与党を始めとする改憲勢力連合野党という対立図式になったこともあり、国民の関心を大きく引く選挙となった。しかし、今回の選挙に関して「18歳選挙権と若者の投票率」、「勝つのは改憲派か?護憲派か?」といった論点について分析し、論じる記事が多い中で、そうした論点とは少々異なる点に関して論ずる記事もあった。それは、「支持政党なし」という政党が、今回の選挙で一定の支持を得たことに関してである。
「支持政党なし」は比例区で2人の候補を擁立、選挙区でも数人の候補を擁立し、今回の選挙に臨んだ。結果、朝日新聞出口調査では、共産党、おおさか維新の会に次いで、比例区に投票した無党派層の10%が「支持政党なし」に投票したという。また、結果として全員落選してしまったものの、総得票数では正規の政党である「日本のこころを大切にする党」と「新党改革」の間に滑り込む形となった。つまり、「支持政党なし」という反語的な名前を持ち、一見奇をてらっただけのように見えるこの政党は、思いの外善戦したと言えるのだ。どうしてこのような善戦が可能となったのだろうか。
 この問いに対して一つの答えを提示している、ある興味深い記事がある。それは、恵泉女学園大学教授の武田徹による、『「支持政党なし」善戦をもたらした“徹底的に孤立した個人”』(http://www.huffingtonpost.jp/tooru-takeda/election_japan_b_10953204.html)という記事だ。武田は記事の中で、『「支持政党なし」に投票するような人たちは、政党に投票し、数の力で自分の意志が政治に反映してゆくことを望み、そのためには小異を捨てて大同につける人たちとは異なる。(中略)束ねられることを嫌い、公共の利益実現のためであれ自分を曲げることを好まない、いわば徹底的に孤立した個人主義者だ。』と分析している。
 今の日本では、政党政治による代議制民主主義が一種の常識となっている一方で、政党に忌避感を抱き、特定の政党支持を望まない層も一定数存在する。「支持政党なし」はそうした層の不満を吸収し、その心情を反語的に顕示する一つのチャンスであったのかもしれない。「支持政党なし」に投票し、特定の政党の支持を徹底して嫌うその姿勢からは「人々と群れることを嫌い、そこから少しでも遠くあろうと孤立するアトム化した個人」という人間像が浮かび上がってくると、そう武田は分析する。
「個人のアトム化」、「多様な人間が住む世界からの疎外」、「大衆の中の孤独」。多くの現代哲学者は、個人が集団や世界からますます孤立してきている現状を問題視し、人間と人間のあるべき関係を回復する手立てを提示しようと試みてきた。その一人に、マルティン=ブーバーという哲学者がいる。彼は、20世紀に活躍したオーストリア出身のユダヤ宗教哲学者だ。その主著に、『我と汝』という著書がある。そこにおいて彼は、自己と他者の関係についての思索を試みている。
彼は著書の中で、現代社会に蔓延する<我−それ>関係(Ich-Es)を批判している。<我−それ>関係とは、端的に言えば「自己が他者を物として捉えている関係性」のことである。その上で彼は、<我−汝>関係(Ich-Du)を理想としている。この関係においては、先程の<我−それ>関係とは異なり、「自己が他者を人間として捉えている関係性」にある。すなわち後者の<我−汝>関係においては、他者を利用・手段の対象としての「物」ではなく、目的たる「人間」として捉えている、ということになる。また、<我−それ>関係における自己(ブーバーはこれを我在と呼んでいる)は、他者を含む一切を利用の対象として手段化しているため、自己たる我在すらもEs化された非人間になってしまっている。一方で、<我−汝>関係における自己たる我は、人格として覚知されており、主体性として意識されている。
 人間は関係性の網の中に存在し続ける生き物であり、どこまで行っても他者存在からは逃れられない。そこにおける人々の自己−他者の関係性を見てみると、<我−それ>関係に陥っている人も存在すれば、ブーバーが理想とした<我−汝>関係を志向し、それに近づいている人も存在する。ところで、周囲の他者と<我−汝>関係に近づくことはなかなか難しい。彼の理想とする<我−汝>関係において、自己は他者を全一性において覚知しており、かつ、自己と他者の間には目的・欲求・予知・概念的理解などの媒介物は存在しない。つまり、我と汝の邂逅において、我は汝の在り方をそのありのままに全て受け止め、かつ、我は汝に対して要求や目的といったものを一切有しない状態で直接的に接しているのだ。さすがに、現実社会においてそこまで<我−汝>関係を貫徹することは到底不可能だが、それでも<我−それ>関係からの脱却を試み、<我−汝>関係を志向すること自体は我々にも可能である。ブーバーは<我−汝>関係の志向を他者との邂逅、すなわち「対話」に求めている。つまり、対話こそが他者を物ではなく、他ならぬ人間として強く意識させ、他者の特異性、アイデンティティ(”who“)をはっきり意識させるということだろう。
ここにおいて、<我−汝>関係においては2つの大きなメリットが存在する。1つ目は、人格としての他者と関わること自体から、新しさ・驚き・安心などの肯定的な体験が得られるという点。そして2つ目は、自己をそれ自体目的として認識できるようになることで、「人は何のために生きるのか」という答えのない問いから生じる抑鬱を回避することができるという点である。すなわち、「私は生きるために生きる」というある種仏教的な悟りを得、自己の生を絶対的に肯定することが可能となるのだ。
そう考えてみると、「人と積極的に関わりなさい」、「友だちとどんどんおしゃべりしたり、一緒に遊びなさい」という幼少期に教師や親からよく言われたあの台詞はあながち間違っていないとも言える。ブーバー哲学の興味深いところは、彼の哲学が他の哲学者に比べると思索の程度が甘かったり、論理的には詰め切れていなかったりする一方で、その思考の結果が我々の実感に優れて近いものになっているところにある。それは、彼の哲学が単なる観念の遊戯にとどまらず、我々の実生活において活用していくことのできる、「生きた哲学」であることの他ならぬ証左かもしれない。それは例えば、冒頭において「支持政党なし」を支持していたアトム化する個人に対して、熟議民主主義の魅力を語り、対話を試みることに活用できたりするのかもしれない。あるいは例えば、ブーバーがイスラエルとアラブの和解に生涯を捧げ、両民族から等しく尊敬されたように、対立する二者の対話と和解に活用できるのかもしれない。最後に、それ(Es)のみと生きることを拒み、どこまでも汝(Du)との対話を志向したマルティン=ブーバーの格言をここに記し、筆を置く。

――それと共にのみ生きる人間は人間ではない――
――各々の汝との接触を通して永遠の生命の息吹が我々に触れる――

「曙光」 文学部二年 杉田純

つい先日、元プロ野球選手の清原和博氏が覚せい剤の所持・使用で有罪判決を受けたというニュースが流れた。私自身、プロ野球が好きなことや元巨人ファンであることもあって、世間同様私も清原氏に関連するニュースには注目してきた。当然、彼に対する世間の目は厳しい。少しネットニュース等をあされば、やれ「40代の薬物再犯率は○○%」だの、「清原は薬物を本当に断ち切れるのか」だの(「」内の見出しのような文章はあくまでこういったニュアンスであるということを示すだけのもので、実際の見出し文を引用しているわけではない)、清原氏の再犯、復帰失敗を疑う声も決して少なくない。
まあ、社会的に逸脱した者に対してやたらと批判の矛先を向けるのはマスコミと世論の十八番なので、それ自体は大して気にならない。しかし、各報道の中で私の目を引きつけたものが1つあった。もっとも、それは大して大きく取り扱われてはいなかった記憶があるが。その内容は、「名球会清原氏を除名しないことを明言した」というものであった。

 名球会とは、プロ野球界で通算200勝や250セーブ、2000本安打などを達成した者だけが入ることができる組織である。つまり、限られた人間しかなれないプロ野球選手の中でも特にずばぬけた人でなければ入れないという、とんでもない組織である。この名球会に、現役時代に輝かしい成績を残した清原氏も参加していた。
 さて、ここで話を戻そう。世間の注目度、社会への影響が大きいプロ野球選手やそのOBが薬物などの犯罪に手を染めていたことが露見した場合、かなり大きな制裁を受けることは珍しくない。読売巨人軍の現役若手投手数名が野球賭博に加担したことで球団を除名になったことは記憶に新しい。それだけでなく、過去にも野球賭博八百長、薬物などで処分を受けた選手、OBの例は多々ある。その中には球界からの永久追放などの大変重いものも含まれている。はっきり言って清原氏名球会からの除名などを受けても全くおかしくなかったのではないかと思う。

 しかし、その清原を名球会は除名しない、つまり、「受け容れる」と判断したのである。これは非常に大きいことである。

 というのも、おそらく現在の清原氏には居場所、受け容れてくれる人間が必要であろうからである。これはよく言われるような「薬物を断つには周囲の支えが不可欠である」という理由に留まらない。

 人間の社会には、何かしらのかたちで「排除」が常に存在している。我々雄弁会員が扱う問題意識にも、「排除」が関係する場合が少なくない。それだけ多くの社会問題には「排除」がつきまとっているのである。いじめや児童虐待、民族差別などは「排除」が関わる問題意識のわかりやすい例であろう。貧困や精神疾患なども一見そうは見えないが「排除」を招くものである。
 そして、「排除」の構造はなかなか複雑なものである。例えば児童虐待を考えてみよう。先ほど私が「わかりやすい」例としてこれを取り上げたのは、「児童虐待」といえば誰でもすぐに「親がわが子を痛めつけている→子どもが家族から排除されている」イメージができるからである。だが、実はそれだけではない。例えば虐待に及ぶ親は近所から孤立していることがよくある。この場合、「親が近所から排除されている」といえる。また、虐待をされて育った者が自分の子どもに虐待をする、ということもやく言われる。ここからも「親がかつて自分の親から虐待されていた→親もかつて家族から排除されていた」という、排除の構造が浮かび上がってくる。

 この例から見えてくること、それは、「排除が更なる排除を生み出している」ということである。これが「排除」の構造である。多くの場合、「排除」は人を苦しめる。良識のある人間であれば、「排除」に苦しむ人を見れば、程度の差はあれ「かわいそう」くらいの感情は抱く。少し正義感が強めの人なら「助けたい」或いは「助けよう」と思うかもしれない。
 雄弁会員も同じように「排除」による人の苦しみ、そこにある不条理に否定的な感情を覚えるからこそ、問題意識を抱き、研究・演練活動を通じてその解決を図っているわけである。

 そして、「排除」に纏わる社会事象を語るにあたって、多くの者はこう言う―排除に苦しむ者を受容しなければならない―と。受け皿が必要だと言う者もいる。対話が必要だと言う者もいる。機会を与える必要があると言う者もいる。人によって問題意識は異なるのだから、当然訴えることも異なるものになる。しかし、往々にして「排除」に纏わる問題意識に対する解決策、ないしは解決の方向性として語られるものの根底には、「受容」がある。
別にこれ自体は間違っているとは全く思わないし、批判するつもりもない。むしろ、然るべきことであると思う。それは私とていじめ等を問題意識として活動した時期もあるのだから、同じようにしてきた。「排除」に苦しむ者は必ず「受容」されることを望んでいる。

少々雄弁会に限った話に聞こえてしまうような書き方になったが、これは一般社会にも当てはまることである。政治家も新聞記者もコメンテーターも学者も「排除」を糾弾する者はどこかで「受容」を訴えている。

何度も言うが、「排除」を無くして「受容」をする、と訴えることは正しい。しかし、これは典型的な「言うは易く行うは難し」に当てはまるものなのである。

これもある意味当然のことである。例えば、犯罪歴がある人が社会復帰した後も就職などで差別されてしまうのも「排除」である。ここにおいては就職活動の待遇改善などが「受容」の一例として挙げられよう。では雇う立場にいる人間としては、どうだろう。本気で「受容」をしようと思ったら、そこには大きいリスクと葛藤が伴うことになる。もし何か起きたら誰の責任になるのか?信用していいのか?自分たちに不利益にならないか?
要するに、「排除」されてきた者、「排除」に値すると社会や人々にみなされてしまった者を簡単に「受容」すると、受容した者(或いは組織)までもが「排除」にあう恐れがあるのである。仮にあるプロ野球チームが犯罪歴のある選手を入団させたらそれだけでそのチームが後ろ指を指されるであろうことは想像に難くない。その選手が再犯に及ぼうものならそれこそとんでもない事態になるだろう。
「受容」はそれだけ当然のことでありながら、非常に実現が難しいものなのである。

さて、ようやく話が清原氏の件に戻るが、だからこそ私は名球会の判断は「英断」であると思う。残念ながら清原氏プロ野球の信用を失墜させた人物である。それは間違いない。しかし、マスコミ、世論、球界、ファンからの大バッシングで最も苦しんでいるのは清原氏であることもまた事実である。間違いなく清原氏は今、「排除」されている。彼が救われるため、何らかのかたちで「受容」が必要である。

その清原氏を、名球会は「受け容れる」と言い切ったのである。万が一清原氏が復帰に失敗すれば、プロ野球の信用は更に下がるであろう。もしかしたら、名球会の中にも葛藤があった、もしくは今でもあるのかもしれない。それでもなお、清原氏を信用し、「受け容れる」のである。多くの人が必要と思いながらも踏み切れなかったその選択を、名球会はした。清原氏を批判する多くの記事の中に、そのたいして大きく取り上げられていない「英断」を目にしたとき、私は社会が一歩だけ良い方向に進んだことを感じた。批判という暗闇の中に夜明けの光―曙光―が見えたのである。曙光とは、わずかに見える希望のきざし、という意味もある。名球会の「英断」は清原氏にとっても、そして、社会にとっても、希望の光であると感じた。

「暫定解」 法学部二年 野村宇宙

「自由意志は存在するのか」。
 この問いに直感的な返答をするならば、「存在する」と私は即座に答える。しかし、次の瞬間、私は立ち止まってふと考える。果たして、本当に自由意志は存在するのだろうかと。仮に存在すると言えるならば、それは何故そう言い切れるのだろうかと。そこまで考えたとき、私は答えに詰まってしまった。私は今、自らが自由意志によって何物にも束縛されず、行動を選択していると信じている。だが、そもそもそれは思い込みに過ぎないのかもしれない。ひょっとしたら、「私がAという行動をとること」は脳内の電子信号の伝達を始めとする諸条件から鑑みれば必然的な帰結であり、何らかの偶然や人による自由な選択といったものは介在しないのかもしれない。そう考えてみると、それまで自らの中で自明であった「私は自由意志によって自らの行動を選択している」という事実の確かさが次第に揺らいでくる。ではここで、次の問いに移ろう。
 「因果律は真理か」。
 この問いにまたも直感的な返答をするならば、「因果律は真理である」と私は答える。しかし、先程と同様に今一度立ち止まって考えてみよう。私たちの多くは因果律に対する信仰心を有している。ここで、因果律が成立するには因と果が互いに区別され、因が果に先行し、因が果を惹起しなければならない等の諸条件が満たされなければならない。しかし、これらの諸条件の成立は自明だとは言い切れず、むしろ日常的な経験に基づいた錯覚に過ぎないと言うこともできる。これは先程の自由意志の話とも関わってくる。例えば、殺人事件においては、殺人犯が犯行時に相手を殺すか否かという2つの選択肢があった上で、前者の選択肢を自由意志によって選んだ、と通常私たちは考える。しかし、この時点で既に錯覚に陥っているとしたらどうだろう。事件当時に殺人犯が行った、相手を殺すという行為は1つであった。だからこそ、それ以外の選択肢はそもそも存在すらしていなかったのだ。そう考えることもできる。だとするならば、私たちは「人の行為には必ず意図があるように、世の中のあらゆる事象(結果)には原因が存在する」と思い込んでしまっているのかもしれない。
 このように、多くの人々が直感から自明だと判断し、それに確信すら抱いている事実の確かさを疑い、それについて改めて問い直すのが哲学だと言える。
 「人は死んだらどうなるのか」。「人は何故生まれるのか」。「幸福とは何なのか」。「霊魂は存在するのか」。「過去世や来世は存在するのか」。「世界は存在するのか」。「宇宙の果てには何があるのか」。「世界は永遠に続くのか」。「いつ世界は始まったのか」。
 昔は疑問を抱いていたのに今ではあまり考えなくなってしまったこれらの哲学的な問いに、私はまだ自らを納得させられる答えを見つけられてはいない。いつか、自らを納得させられるような答えに巡り会うことはできるのだろうか。それまでは、「人は死んだら世界と一体化し、認識できなくなるが存在はする」、「個々人の誕生には何らかの意味を見出すことができる」、「幸福とは個人が主観的に自らが幸せだと感じることである」、「いわゆる霊魂に匹敵する何かは存在するはずだ」、「記憶は引き継げないが、霊魂に匹敵する何かが経験した過去世や経験するであろう来世は存在するはずだ」、「世界は存在するはずだ」、「宇宙の果てには、現在は観測できていない宇宙の外の世界が広がっている」、「世界が終わりを迎え、一切が無に帰すことはなく、世界を認識できなくなっても何かが存在し続けるはずだ」、「無から有は生まれないため、世界は初めから存在していたはずだ」という暫定解たちを、それなりには信じていたい。

「偏見」商学部三年 清水寛之


 先月、私は中国を旅行した。生まれ育ちは日本、海外に行ったのは今回を含め6,7回程度である。大学生になってからの海外旅行は初めてということもあり、多少なりとも見識を拡げられればと思った。旅行先の中国という国は、3千年以上の歴史を有する中華文明として長らく東アジア世界の中心として君臨し続けた。ところが、国共内戦、革命、改革開放による急速な経済発展等、世界一の人口を有するこの大国は列強による侵略に端を発して以来、急激な社会の変化を経験してきた国でもある。私は本稿で、異文化(安易にこの言葉を使いたくないが、便宜上、否、あえて使用する)を日本人の目を通して考察した所見と、それによる多少の認識の変化について述べたいと思う。
 早々、少し横道にずれるが、ここ最近テレビを観ていると、日本文化の伝統や、海外で活躍する日本人を扱う番組をよく見かける。日本人による日本観、外国人に鏡として映った日本観、通底してこの国の根底を支える思想を発見しようと努める意図がありそうに思われる。私はこれを詳しく知った訳ではないが、グローバル化の中で我らの枠組みを固持したいという世界的な傾向の一例かと勝手に解釈している。これについて良し悪しを述べるつもりはない。これは、我々の「現実」に過ぎない。表裏とも言えるもう一つの側面も存在する。近隣国に対する親近感の低下である。中国、韓国へ親近感を抱く日本人の割合は年々低下し、中国に関しては1975年以来最悪の割合だと言う。逆もまたしかりだ。まとめると、昨今の特徴として、グローバル化によって国民国家の枠組みは寧ろ強く意識されるようになった。
 話を戻そう。中国大陸を歩き続け、私は確かに感じた。人々の間には日本のメディアで散見されるような強烈な反日感情はない、と。しかし、同時に感じたこともある。自分はやはり異文化の訪問者なのだということ。それは個人同士のかかわり合いがいかに友好であったとしても、である。善悪抜きに、常に日本人との違いを意識し続けた。日本人観があり、それが異文化を浮きぼらせた。その逆も然りである。結果として、再帰的に日本人を把握しようと努めていた。勿論それが目的であったからというのもあるが、そうでなくとも結果は大体同じであったと思う。もう一つ話を付言すると、急速な変化を繰り返した中国国内には、自生的と言えるような伝統と、革新的なイデオロギーとが混在していた。それを彼らがどう捉えるかは聞けなかったが、外観的にはあまり馴染んでいるようには見受けられなかった。
 この経験は、概して自由主義的であるはずの自分に多少ばかりの認識の変更を迫らせた。異文化の中の自分は、あまりにも違う他者だったのだ。文化の物語が規定する影響は、思っていた以上に大きかった。自由主義(特に、所謂「リベラリズム」)が想定する個人は、原子論的だと言われる。つまり、文化、国境等、あらゆる偶有性を乗り越えた一つの独立した自我を想定しているのだ。それ故、同時に進歩主義的だとも言い表される。私はこれを正しいと確信していたし、例え問題(ex. コミュニタリアンの「負荷なき自我」という批判)があるとしても、原理的にそれを否定する論拠になるとは思っていなかった。否、今や主張が全て転換したという訳ではない。但し、慎重にはなった。少なくとも今の自分は、完全に平坦な視点で全ての他者を見られる訳ではないし、同じ労力ならば知らない誰かよりも良く知った隣人を助ける性向を持つだろう、と自覚した。規範的にはそれを乗り越えたいと思いつつも、実際には自らの埋められた価値の中に甘んじているのだ。そしてもう一つ。これまで培われた認識は、そう簡単に変わりはしない。変化を受け入れるには時間がかかる。また、実感の出来ないものに抵抗感を覚えることは至極自然なのだ。合理的な思考の偉大さと比べればほんの些細なはずの感情は、自分の中で、予想以上に強く主張した。最後に、啓蒙の最中にあってフランス革命に断固として反対したバークの言葉を紹介して本稿の結びとしたい。
  
  御判りのように、私は、この啓蒙の時代にあってなおあえて次のように告 
  白する程に途方もない人間です。即ち、我々は一般に無教育な感情の持ち
  主であって、我々の古い偏見を捨て去るどころかそれを大いに慈しんでい
  ること、また、己が恥の上塗りでしょうが、それを偏見なるが故に慈しん
  でいること、しかもその偏見がより永続したものであり、より公汎に普及
  したものであればある程慈しむこと、等々です。(バーク1978:110-111)

〈参考文献〉
エドマンド・バーク(1978)『フランス革命省察』半澤考麿訳,みすず書房